14.新しい名前

 「私はこうしたい」
と、言ってみる。

それは、誰かを酷く傷つけることであったり、誰かの人生を左右することであったりする。
そして、その責任を「私」が背負うということである。

 生まれて初めて自己主張をして、その責任をまるごと負った。

自分が選んだ道。
私が背負ったもの。
重くて、先が見えず、何よりも心が痛んだ。

 私は、私の決意と、ずっと黙っていた彼とのことを、友人のNに話した。
そしてこの10年間、一人で抱えていた私の家族の秘密も。
すべてのことを一気に話した。

「今までずっと話してくれなかったことは少し悲しいけど・・・。」
彼女は、その次に予想外のことを言った。

「家の事は知っていた。あんたが私に言わないのには、あんたの考えがあるからだと思ってた。
 もしも一生話さないつもりなら、それはそれであんたの選択なんだと思ってた。
 だからその時は、私も自分のお墓まで持って行って、自分と一緒に葬るつもりだった。」

 私が今まで一人で抱え込んできたと思っていた事、それは信じられない経路をたどって彼女の耳に入っていた。
私は悔しさと憤りで言葉が出ず、娘と私が酷く侮辱されたような気がした。
一方で、私をがんじがらめにしていた鎖が、切れたようにも思った。
そして、「自分と一緒に葬るつもりだった」という、彼女の言葉に救われた。
私と同じものを背負いながら、私と同じ覚悟をし、しかもそれを黙ったまま、長い間私を見ていてくれた人がここにいた。
それだけでいいや、もういい・・・そう思った。

 その夜、Nとの別れ間際、
「みやびちゃんはきっといつか理解してくれる。」
という彼女の言葉で、張りつめていた緊張が緩んだ。
駅のタクシー乗り場の前で、彼女の肩に額を押しつけて泣いている私に、Nは黙って寄り添っていた。
泣きじゃくりながら少し顔を上げると、好奇の目で私達を見ながら通り過ぎていく人々が霞んで見える。
私の背中に回された彼女の手が、その視線から私を守っている。

 その夜の彼女の最後の言葉で、私は少し強くなれた。

「あんたがどんな選択をしたとしても、私は最後まで味方だから。」

 私は、不動産屋に行き、初めての一人暮らしのために、ワンルームのアパートを借りた。
荷造りをし、引っ越しの手配をして、仕事を探しながら、周囲を説得しなければならなかった。
 
 生活に必要な最低限のものを買い、アパートに運び込んだ。
身の回りのものを捨て、ほとんどの本を売り、狭いアパートに入りきるだけの物を残した。
それらの物と、いつも乗っていた自分名義の車とわずかな預金を持って、私は家を出た。

 初めて職安に行き、初めて履歴書を書き、初めて仕事を探した。

 娘は私でも父親でもなく、私の実家へ行くことを選んだ。
それは、私にとって最後の可能性だった。
もう、まともな会話もままならなくなった娘との関係を、「いつか必ず」修復できる可能性。
それを娘が私に残してくれたと、そう思いたかった。
離婚を理解できずに反対し続ける母のことも、娘を預ける以上納得させる必要があった。

 私はまるで、社会人としてのスタートを20年遅れて始めたかのようだった。
事実私の生きていくための知識と経験は、新卒の社会人のレベル以下だった。


 その後初めて就職をして今日に至るまで、私はそのことを度々思い知らされながら、私なりに前に進むしかないと歩き続けてるいる。
娘は少しずつだけど、私に心を開いてくれる。
家を出てから2年後、私は彼と結婚した。

だから今、隣にはあれほど必要としていた彼がいる。
いつもいる。

maru』は、その彼が私を呼ぶときの、私の新しい名前です。




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