「自分を愛せない人は他人も愛せない。」
という夫の言葉もまた、私の背中を押してくれました。

結局身勝手に多くの人を傷つけ、長い長い遠回りをしました。
現実的に私たちは自己満足ではありますが、できる限りの思いつく限りの償い方をし、これからもしていくつもりでいます。
ただ余計な罪悪感を盾に自分を取り繕うことはするべぎはないし、それは誰の悲しみを救うことにもならないという思いに至りました。
ここにこうして今の私の思いを綴ることも、ひとつの役割のように思います。
今ここにいる私の人生を反面教師として感じていただけるならそれも嬉しいことです。

booksでとりあげている本の中にも『寄り添う人』の存在の重要性が繰り返し書かれているものがありました。
究極のところ、その仕事は受け止める、吐き出させるという方法に尽きるというものです。
それが箱庭療法であれ、カウンセリングであれ、飲み込んでしまった異物を吐き出させる、大変根気のいる、また場合によっては危険な仕事であることは間違いないようです。

 過去を清算するのは、つらいことです。
例えば、父の死に一滴の涙もこぼすことが出来なかった私は、その時に遡って悲しむという作業をあえてしなければなりません。
親なのですから、悲しくないはずがなかったのです。
それを今から、悲しむためにわざわざ過去の苦しい時代めがけて出向いていくわけですから、一人では心細いし危険すぎます。
あまりに精神の安定を欠いて不安なとき、パニックを起こしてしまうようなときは、カウンセラーやお医者様の助けが必要なこともあるかもしれません。

 
そして、物理的にも、精神的にも、触れたいときに触れることが出来る距離にいて、見守っていてくれる人。
「あなたがあなたであること」を無条件で愛してくれる人。安心して心を解放できる人。
私にとって、この役目をしてくれているのはパートナーですが、友人でも、恋人でも、そういう幸福な出会いはとても重要な役割を果たすと思います。

何冊かの著作から得た知識と「私」を見つけるプログラムで手探りをしている私には、いつも彼に見守られているという安心感が不可欠です。
これが上手くいくかの答えは、まだ最後まで出ていません。けれど、あともう少しの所まで、やってこられたようにも思っています。

 信頼できる誰かを伴って過去に遡り、悲しむべき時に何かの事情で悲しめなかった出来事を、その人の胸を借りて気が済むまで嘆くことができれば、きっとそのたびに強くなれると思うのです。
何度でも遡って何度でも悲しんで、そのたびに、必ず少しずつでも心の霧は晴れていくはずです。
そうすればいつかきっと、過去を静かに見つめられる日が来ると信じます。

good luck!!


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