1.特別な家


 いつの頃からかわからないけど、ものごころ付いた時にはすでに、私は自分の家が他の家と違う事に気づいていた。
そして、それは多分私の家の秘密で、私はその秘密を守るために、いつも心のどこかに警戒心を持ち続けていた。

 私の家には父親が住んでいない。死んでしまったのでもなければ行方不明になったのでもなくて、父は別の女の人達と別の家に住んでいた。それはちょっと変わった家の事情ではあったけれど、私にとってはまったくの「普通」だった。
けど、その事を周囲に知られたり友達同士の話題になったりするのは嫌だった。だから私は目立たないように過ごした。
友達が「お父さん」という言葉を発するだけで、心臓は凍り付くようになった幼稚園の頃。「普通」にとけこんで透明人間のように目立たないこと、警戒心を解かないこと、を覚えた。そして習慣になった。
その事が大人になった後もずっと自分の足かせになってしまうことには、その時思い至るはずもなく、有りもしない「普通」の概念をいつもいつも探り続けるようになってしまう始まりだということに気付くこともできなかった。

 父の住まいには二人の「おばちゃんたち」がいた。私はその人達のことを嫌いじゃなかった。私の家の中にも父の家の中にも解らないこと曖昧なことがたくさんあったけれど、それを大人達に質問したりはしなかった。波風立てない方がよい物事を嗅ぎ分ける臭覚は、すっかり身についていたからだ。
そして自分が失った「子供らしさ」にあこがれて、子供らしさを演じたりした。
だから私は大人の言う「良い子」だったけど、私に無いもの…、目に見えないすでに失った大切な何かを探していた。
けれど、実はすでに失われてしまったもの。その中に「自分自身」も含まれていたことを、今私は恐怖とともに思い返す。その時の私は、その価値を知りようもなかった。

一方でこの時すでに私は、この一族の壮絶なパワーゲームに知らず知らず巻き込まれていた。家族とも言い難いこの不思議な集団を、父が都合の良いようにまとめる、そのためにしくんだパワーゲームに。そして私は、母がこのゲームを戦うための道具のひとつとなった。きっと母のプライドの最後の砦に。
多くの子どもがそうであるように、母の期待に応える為の暗黙のルールを、早く覚えて母の役に立つようになろうとした。そうすることで母を守れると思った、孤独な母を幸せに出来ると思った。

子ども時代に失ったかけがえのないものを、後になって取り戻すことがどれほど困難か、子どもはそれを知らない。だからいとも易々と平気で自分の心を偽り、生け贄として差し出してしまう。大人達はこんなふうに子どもに守られていることを少しも知らない。かつて子どもだった頃の心の記憶を誰もが失ってしまうからだろう。





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