2.四人目の妻

 父には事業の才能があり、経済成長の最盛期という絶好の時代のパワーも借りて、父の会社はだんだん大きくなった。母も忙しくなるにつれて家にる時間が少なくなった。住み込みのお手伝いさんとほとんどの時間を過ごす生活は、私にとって快適だった。一人でいることに安らいだ。空気のようなお手伝いのおばさんの存在は、私がありのままでいられるためにとても有り難いものだった。
同じ家に育っていながら、年の離れている姉は私とはずいぶん違っていた。姉は私がせっかく波風立てないようそっとしてある物を、時折逆上してひっかきまわしてしまうことがあった。母を守って静かに暮らしたかった私にとって、母と口論したり何かを変えようとしたり泣いたり大声で抗議したりする姉は、私を混乱させるばかりだった。けれどもその時の姉の姿は、10年後の私自身の姿でもあったのだ。

 ある時、私と姉は父と3人で旅行に行くことになった。それは母が「子供とふれあう時間」を父に強要しセッティングした旅行だったけれど、私にはまったくのありがた迷惑なものだった。父とのふれあいなど苦痛以外のなにものでもなかったし、父は私にとってただ煙たく恐ろしいだけの存在だった。怒りっぽく威圧的な父のことは誰もが怖れていた。父の会社で働いている人々も、誰もが皆、父の前では酷く緊張しているのが子どもの私にも解った。父が怒りを爆発する、その場に居合わせてしまう時私はいたたまれない気まずさの中で何故か自分を責めた。自分だけでなく、その場の緊張した空気と気まずさをどうにも修復できない私を、誰もが責めているようにも感じた。
一方で、何も気付かず無邪気な子どもを演じようとして、「こんな時にどんなふうにしているのが子供らしいのか」と考えながら一刻も早くこの場が平和に収まるように祈っていた。

 その旅行の日の早朝、父の車が私たちを迎えに来た。信州方面へ向かう道中、車は途中で一人の女性を乗せた。私と姉の知っている人だった。その時から何故かひどく姉が不機嫌になりその場の雰囲気が険悪になった。私は、また不安で落ち着かなくなった。
私にとってその旅行が、いつものように神経をすり減らすものだったにもかかわらず記憶に残るものになったのは、その時からその女性が父の家の「おばちゃんたち」に加わったからだ。私よりずっと年上の姉はそれを解っていて、だから突然不機嫌になったのだ。




[next]

[about me index]

[HOME]