11.はずれた鍵


 新しい家族。
自分の力で作り上げた家族。
私は、理想と希望を持っていた。 
娘の誕生後は、写真を撮って、ビデオを撮って、思い出もたくさん作った。
キャンプに行ったり、旅行に行ったり。
義父母との同居を決めたのも、娘に優しい心を育んで欲しいという気持ちからだった。
私は、どこかで解っていたのだ。
私一人で子育てをしたら、きっと息詰まってしまうこと、それは必ず娘への悪影響として現れること、
そしてそれが彼女の将来に、人より余計に重い荷物をひとつ背負わせる結果になること。
私の子育ては、終始一貫して自信のないものだった。
親として、確かなものを持つことができなかった。
私のそんな欠点を、夫と義父母がうまく補ってくれていたと思う。
義父母は、私とはまるで別世界の人で、価値観も何もかもが違っていたが、生まれ変わりたいと思っていた私にはそれがかえって都合が良かったのだと思う。

 しかし、パンドラの箱は完全に封印されていたわけではなかった。
 
 『今まで』に封印をすることで、私は平和な生活を手に入れたが、それは『普通』であることを模索する生活でもあった。
私の描く理想と希望は、まるで誰かからの借り物だった。
それは、例えば呼吸のしかたを頭で考えながら、息をするような不自然さがあった。
当然どの場所でも安らぐことはできなかった。
当たり前のことが自然に出来ない、私の心の尖った部分が、色々な物にぶつかってトラブルを起こす。
そうやって、けれど、時間をかけて少しずつなじんで行くしかなかった。
いつも頭の中に、今自分が母であるための、嫁であるための、妻であるための、具体的な手本となる人物を置いて真似していた。
そうしなければ、何をどうしていいのか、自分の今していることが何なのか、私には解らなくなってしまうのだ。

 子育て中の私は、時々自分を母に重ねてしまうことがあった。
普段はそれほど意識することもないが、娘を叱ったときや、自分の思いが娘に届かなくてもどかしいときや、娘が理解できなくなってしまう瞬間に、私の中の母親が姿を現した。
そんな時、娘に母と同じ態度で接してしまわないよう、自分を見張っている事はとても困難な作業だった。

 何故こんなに辛いのか、解らなかった。
でも、解らないながらも頑張れるだけ頑張った。
娘を愛していたからだ。

  なのに娘が小学生になった頃、気づくと私たちの家族は、私の実家であるあの家と、同じようになっていた。
母と自分が重なる。そして、娘と私が重なる。
ぞっとした。

 私は、自分の中に悪魔が住んでいるのではないかと考えるようになった。
悪魔・・・でもなんでもいい、とにかく私を不幸に不幸に導いていくもう一人の私。
ずるがしこく、どんなに警戒しても仮面をかぶって私に忍びより、幸せに導く天使のふりをして、私を誘導する。
気づいてみれば、私はいつもその背中を見ながら、その後に従って歩いているのだ。
幸せに向かっているとばかり信じ込んで。

 強くならなくちゃいけない。 
悪魔とは、私の心の中のもう一人の私だ。
それに勝つために強くならなきゃいけない。
ただ、私はとても疲れてしまっていた。
もう、考えがまとまらなかった。
何もかもリセットしたかった。
自分の人生など、早く終わってしまえばいいと思った。

 離婚・・・・?
けれど娘にだけは、悲しい思いをさせたくなかった。
そして、かつての私のように、秘密を背負わせたくなかった。
私は次第に気の許せる親しい友人にさえも、私の家庭について本当の話をしなくなった。
私はわたしのやり方で娘を守る。
すべてのゆがんだものは、私が抱える。
そう決めた。
けれど、私が一人で抱え込んでいたものは、私の心の許容量を超えて、いつか爆発しそうだった。

 この頃私は、私の記憶にある限り、初めてのパニック発作を経験した。
もちろんその当時、それがパニック発作であるなどとは全く知らなかった。
呼吸困難から始まり、それが発狂の恐怖に至ると、私はいつも「狂ってしまえ」と願った。
無知だった私は、狂ってしまえば何もわからなくなって楽になれるような気がしたのだ。

 私は、ある仏僧のもとを尋ねた。
もう、この俗世で、どんなふうに生きていけばいいのかわからなくなり、できることなら出家したいと考えた。
ただ、娘と離れるわけにはいかないという、その気持ちは、何かと比較することなど出来なかった。
私は毎朝、1日の始まりの前にお寺に行き座禅を組んだ。
機会があれば、冬の滝場にも行った。夜明けに起きて水行もした。
自分が強くなったかどうか解らなかったが、極限状態で何かをしている時だけ、楽になる気がした。
そんなふうにしてつらかった年月が過ぎていった。

 娘が高校に入学する少し前くらいからだったろうか。
私は、もっと根本的な解決が、どこか違うところにあるのではないかと、だんだんそう思うようになった。
例えば、「何か」にすがるのだとしても、神や仏は人の心の中にいるはずだ。
「何か」とは、自分の外にあるのではなくて、自分の内にあるはずだ。
だとしたら、私が信じなければいけないのは、私が尊ばなければいけないのは、私自身なんじゃないのか。

それが、十数年間迷い続け、やっと見つけた私の結論だった。

 その頃、世田谷美術館で、ムンクの「思春期」を展示していた。
高校時代に模写した、あの少女の絵である。
初めて見る本物の「思春期」は、私が抱いていたイメージよりずっと大きかった。
あの少女に対面するのが、最初はなんだか怖かったが遠くからその絵を見つけたとき、やはりここに来て良かったと心から思った。
何故なら、その少女は私を待っていたからだ。
あの時の時間が止まった状態のままで、長い間私を待っていた。
私が会いに来るのを。
その少女は、私だった。

 私は絵の前にたたずんで、声を立てずに泣いた。
私があなたを忘れている間も、ずっとここに座って待ってたんだ。
不安を背負ったまま、ずっとそのベッドに腰かけていたんだ。
狂いそうな不安を押し殺して、無表情に私を見つめる少女を見て、私は彼女のために泣いた。

 かちゃりと音がして、鍵が開いた。


 





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