5.新しい居場所


 私と友人達は、自分たちにぴったりの最高のたまり場を見つけた。
新宿の雑居ビルの地下に向かう細い階段。汚い壁にはたくさんのらくがくきがあった。
そこをを降りた所に、塗装が剥がれかけた黒い扉があり、その中からロックミュージックが漏れてくる。
扉には「外出禁止」と張り紙があった。

黒い扉を開くと同時に、微かに漏れ聞こえていた音が、突然暴力的な音になって襲ってくる。
いつもこの瞬間に私は、何か鎧のようなものをそこで脱ぎ捨てるように感じていた。
いつも同じ、そのかびくさい臭いも、暗い店内も、気の抜けたコーラの味も、ぶっきらぼうな人々の応対も、すべてに心が休まった。
 そこに行けば、誰かしら友人がいた。店の人たちとも顔見知りだった。
私たちはそこで、音を消したテレビで野球中継やコマーシャルを見たり、顔を近づけて怒鳴り声で会話したり、お気に入りの曲をリクエストしたり、友達からの連絡を待ったり、ただぼんやりしたりしながら過ごした。

中学の終わりから高校の数年間の時間の多くを私はそこで送った。
家に帰りたくないとき、夜を過ごせる貴重な場所でもあった。
閉店後、ゲイのマスターが帰宅したあとに、いったん店を出るふりをした私たちはまた内緒でそこに集まった。

普段スタッフしか入れない狭いブースの中、壁の棚には聴きたい曲のレコードはなんでもあった。
一晩中レコードをかけ続けながら、とりとめのない話をし、椅子に丸まって眠った。
朝になると、誰かが起きだして気配が変わる。
窓のない地下のその場所でも不思議の朝の気配が解った。
誰かが近くの総菜屋さんに行って、みんなの分のおにぎりやおかずを調達してくる。
だいたい、少し年上の店のスタッフがおごってくれた。

みんな余計なことを訪ねたり話したりしなかった。
けれども、私たちがそこに泊まる時には、男の子たちの誰かが交代でマスターの家に泊まりに行っていた事は後になって知った。
そのとき彼らは、それを笑いながら話してくれた。

 その場所にいる間、母とのやりとりで感じた絶望感も孤独も忘れられた。
新しい私の居場所には、新しい価値基準があり、以前のように「普通」を探り装う必要も無かった。
友人達は私の家につけた「犬神家」というニックネームとともに、私の家族は、まがまがしい物語の登場人物になって、笑い話に姿を変えて現実から葬り去られた。
私達は友達の怒りと自分の怒りを重ね、全部ひとまとめにして、言葉で、涙で、笑いで 、音楽で、爆発させ粉々に吹き飛ばした。
相変わらず家に帰ると待っている現実からは、心の周りを分厚い鎧で武装することで逃避した。
やりすごしていれば、そのうち母は自分を哀れみ『かわいそうな私』と書かれた扉の向こうに行ってしまう。
母もまたその厚い扉で、自分を守っているのだと思った。
私はその扉を、もはや叩くことは無かった。興味を失った。
「ざまあみろ。」
私の心は強くなったかのようだった。
なのに、自分の心のどこかが悲鳴を上げている、それを意識するとき、私は悔しさのあまり私自身のプライドを傷つけるようになった。




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