7.H先生



 恋人との日々の一方で、私の学校での生活はまったく現実感のないものだった。
ただ時間をやり過ごすだけの生活の中で、時々絵を描くことに没頭した。
画家ムンクの『思春期』という作品に惹かれて、油絵で模写を描いたことがあった。
寝台に腰掛ける少女の中性的な裸体と固い表情に自分自身を重ねていた私は、少女の細い体の中に存在する何か、その頼りない肉体が守っている内側の尊厳のようなもの…微かで確かなその何かの存在が愛おしくて大切でならないような気がしていたのだと思う。

学校では楽しいことはあまりなかったけれど、今では懐かしい大切な思い出がある。

 2年生の時の担任、H先生は体育の男性教師だった。
彼は純粋で、真剣だったけれど、若くて不器用だった。
私はH先生を…つまりすっかり舐めきっていて、反抗し困らせては楽しんでいた。
けれどそれが私にとってある種の安らぎであり、屈折した甘えでもあったことを、当時の私は全く自覚していなかった。

 あることで私たちは問題を起こし、親と共に校長室に呼び出されていた。
当然そこに至るまでの母親の半狂乱ぶりは、説明するまでもない。
そして、怒りで武装した私が、母親に対する喜怒哀楽の感情をも麻痺させていたことは、前にも書いた。
だからそれは多少面倒なだけで、どうということなくやりすごした。

母親と校長室に入り、すすめられた椅子に腰かけて、私は神妙な顔をした。
一通りのお説教の後、なぜだか校長は昔話を始めた。
苦労の多かった少年時代のこと、大病の体験談、そして度重なる手術、それらを乗り越えてきた自分の人生。
いつの間にか真剣に聞き入っていた。
私はこの人をこんなに間近に見るのは初めてだった。
この人と顔を合わせるのは、行事か朝礼の時くらい、それも遥かかなたの高い段のうえに立っている姿しか知らない。
私たちの起こした問題に、担任や学年主任がパニック状態だったわりには、校長は冷静で静かに話した。
私は、突然身近な存在としてこの人を感じ、予想外にリラックスしている自分に驚いた。
それは今思えば、娘が父親に感じる安らぎに似たものだったのだと思う。

翌日、担任の H先生に呼び出され、私はこう告げられた。
「これから週に一度おまえと面接をするから。」
当然断った。
「なんでだ。」先生は驚いてたずねた。
「忙しいから。」なるべくぶっきらぼうに私は答えた。
「30分で良いんだ。」
「話すこと何も無いですから。」
そのようなやりとりの後、困った彼は、私と週一回面接をすることが、校長と彼との間で決まった約束であるという話を私にしたのだ。
私を更正させること、それが出来なければ、それは担任Hの責任であるということ、そう校長に言い渡されたという事情を、生徒の私に、彼は打ち明けたのだ。

そんなH先生を見て私は、ますます彼を見透かしたような気になった。
しかも「更正」って・・・・普通じゃない生徒を十把一絡げにして「不良」とか「問題児」とかいうんだろう。
そして、それを普通に戻すのが「更正」ってやつなのか。
短絡的な発想に自分が当てはめられていることに腹も立っていた。
「頼むからさ。」
無邪気に照れ笑いしているHの顔を見て、なんだか力が抜けた。
そして…
面接は毎週月曜日と決まった。

 「お休みにはどんな事してるんだ?」
第一回目の面接の日、いかにも友好的に話しかけるHにうんざりしながら、どうせ時間を割いて面接なんかしてもこんな月並みな話をするのか、と思った。
「音楽聴いたり」
本当の事なんか言うものかと思った。
一刻も早く終わらせたかった。
その反面、どこかで私は、いつまでも話していたいような切ない気持ちを、この時自覚できずにいたが感じていたのだと
思う。
私が彼の問に反応したことで少し安堵したのかH先生の目が輝いたように感じた。
「何を聴いてるんだ? 先生もな・・・うん、そうだな〜、ビートルズ聴くか?」
この人の顔を見ているのが苦しかった。
「はい、聴きます。」
と答えておいた。

そんな面接だった。
全く意味がない。双方にとって全く意味がないことを、この教師には気づかせないといけない。
そう思っていた私は、得体のしれないH先生に対する哀れさと、自分の気持ちのやり場のなさに月曜日の放課後になると、彼から逃げ回るようになった。
ホームルームが終わると鞄を持って教室を飛び出す。
後方でHが私の名前を呼んでいる。
決して振り返らず、逃げる。
翌日怒られる、あやまる、次の週も、また逃げる。
これを何度か繰り返して、やっとHに諦めさせることが出来た。
月曜日の面接は自然消滅した。

 そして今このいきさつを思い出すと、私は胸が苦しくなる。
私はHを哀れに思っていたけれど、本当に愚かで哀れなのはこの私の方だった。
H先生の純粋な気持ちを、その価値を、理解出来るだけの心の目を私は持っていなかった。
彼に甘えているだけの、しかもそのことに気づけない自分が、私にはまるごと見えていなかった。
生意気な私の態度を優しい目で見ていてくれた彼を、上手く操っているような気になっていただけだった。
考えてみれば、本気で私と向き合おうとしてくれた数少ない大切な存在だったはずだ。
私の目を見て、のぞき込んで話をしてくれた。

 私は、誰かに心を許すことが出来なかった。
彼の責任ではない。
信じて、武装解除した生身の体が、再び傷つけられるかもしれないのが怖かっただけなのだ。

卒業して年数が経つほどに、私はH先生を後悔とともに思い出すようになっていた。





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