8.父の病気と死

 父の病名(胃がん)は本人には告知されることなく、私が18歳の時病院で息を引き取るまで結局隠し通したままだった。
その間、入院、手術、退院、再発、余病の併発、入院、を繰り返し、 約4年の闘病生活は、私は初めて父と共に過ごした日々でもあった。

 入院中は私も姉も父の所にたびたび見舞っていたが、事実上身の回りの世話をしたのはやはり母だった。
ただ、そんな時に父の3人の妻達がいたことは、母にも私たちにもとても有り難いことだったのだ。
おかげで私は学校生活に支障を来すこともなく、母も過労で倒れるようなことはなかった。
父は常に2人以上の家族に見守られて、病院の床にいた。
4人妻がいれば、こういうローテーションも充分余裕を持って出来るのだ。

 父の病で一番ショックだったことは、あれほどの勢いと強引さで周囲を自分の思うがままに動かしていた父の、変わり果てた姿だった。
癌が再発した頃の父にはもう昔の面影はなく、特に医師に後数ヶ月と宣告されてからは、病室に集まる人の数も増えていった一方で皮肉にも父の意識はすでに無かった。

 ある日私が父のベッドの脇で苦しそうな寝顔を見つめている時、父が一度大きく大きく息を吸った。
そしてそのまま呼吸がしばらく止まり、それからようやく、ふーーっ、と長い息を吐いた。
そしてまた止まった。
その様子をずっと一人で見守っていた私は嫌な予感がした。
その時病室には10人ほどの親戚知人が集まって、少し離れたテーブルで静かに話をしていた。
私は彼等に父の異変を告げると、皆一斉にベッドに集まり周囲をぐるりと囲んだが、私はその輪に弾かれるようにしてはずれ少し下がったところでそれを見ていた。
多分もう駄目なんだろう、確信があった。

 まるでドラマのように、医者、看護士、医療器具、がつぎつぎ病室になだれ込んできた。
しばらく色々な処置を施した後、担当医はとうとう人工呼吸を始めた。
両手を父の胸の上に置き、体重をかけて心臓をマッサージすると、やせ細って骸骨のようになった父の身体はおもちゃのように揺れ、バウンドした。
肋骨がすでに折れているんじゃないかと思うほどだった。
それでも無表情の父を見ているうちに、私の頭の中には「死」という言葉がはっきりと浮かんでいた。

 その時、
「お願い、もうやめてください。もうやめてっ!!」
と、母が担当医に向かって叫び泣き崩れた。
またか・・・、私は思った。相変わらず、ばかな人。
訳もわからず自分の感情のままに喜怒哀楽を表し言葉を発する母を軽蔑する気持ちが湧き上がってきた。
医者は一瞬母を一瞥したが、すぐに時計を見て死亡時刻を告げる。
それと同時にベッドの周りにいた人達の泣き声が一斉に大きくなった。
母以外の妻の一人は何かわめきながら泣いている。

 私は洗面所に入り、歯ブラシなどの荷物をまとめ、とりとめもなく帰る支度を始めていた。
涙は少しも出てこなかった。





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