再演

 いつもいつも同じような状況で、同じような問題を抱え、同じ結末を迎えることになる。
これは運命なのか、それとも私のどこかが間違っているからなのか…。

そんなふうに悩んだり挫折したりを繰り返しながら、これにはきっと何か訳があるんだと気づく事が出来たら、それが新たなステップに進むチャンスだと思います。
自分の心を見つめ直し、書物から情報を収集し、考えて考えて私がたどり着いたのは、自分を取り巻く環境の大部分は間違いなく自らが作っているのだということでした。
それが表面上には、自分にとって望まない環境だったとしてもです。
何故ならば、それは自分自身が自覚しているよりも、もっとずっと深い部分の意識の仕業だから…。

それが「再演」「再演技化」(リイナクトメント)というものでしょう。
enactというのは、(法律などを)制定する、〜を法律にする、などという意味の他に、(劇を)上演するとか、〜の役を演じる、という意味があります。
例えば、ある人がトラウマとなる出来事を体験したとします。
もちろん、本人にとって恐ろしく、つらい記憶なのですが、にもかかわらずその人はその後の人生で同じような状況を何度も反復して体験するのです。

性暴力を受けた人が再び同じような被害を繰り返し受けたり、逆にある時は加害者になったり、売春に走ったり、を繰り返すことがあります。
なぜそのようなことが起きてしまうのか、本人が決して望んでいないのに、むしろ意識的には避けよう避けようとしているのに。
それは被害の体験をなんとか克服しようとする無意識が招いてしまう状況なのだそうです。
そのような体験を自分のコントロール下で再び演じることによって安心しようとしたり、自分から能動的にその体験をすることで自己防衛しようとしたり、という心の働きのためです。
特に性犯罪の被害者の場合には、このような現象が第三者から見ると大変誤解を受けやすいというのが、大きな問題となります。
そのような偏見は本人にとってみれば、二次、三次的な被害ともなるわけで、大変つらいものです。
傷ついた被害者であるにもかかわらず、「被害を受けて当たり前」のような見られ方をすることも、よくある誤解です。
それは、かろうじて残っていた微かな自己肯定感までもを、さらにずたずたにするでしょう。

また、ベトナム戦争から帰還した兵士が帰国後殺人者となったり、他の国の雇われ兵になってまで戦争に赴き戦場に居続けようとする…などということがかつてアメリカで社会問題になりました。
これがトラウマからの再演だと知られなければ、「戦争かぶれ」ともとられるでしょうし、本人が戦争で心に受けたダメージとその苦しみなど誰にも理解されないままに終わってしまいます。
まして殺人者となればもう、戦争で人を殺して病みつきになったとでも思われるだけでしょう。
そして、このような再演の結果が連鎖し、暴力の鎖がどんどん繋がっていく…それはとても恐ろしいことです

 子どもへの虐待も、DVも、…そして同じような恋人と同じような恋愛をしいつも同じような結末になってしまう…などということに至るまで、無意識に「再演」を繰り返す例は大変多いと思います。

もしも、加害とも被害とも無縁で誰も傷つくことがない再演ならば、その中で演じる自分を見つめつつ様々な衝動を客観的に眺めることも一つのステップではないかと思います。
けれど、それが新たな被害者を生む再演ならば、なんとしても止めなければならない事です。
加害衝動を感じたとき、その衝動がかつての被害の「再演」であることを理解するだけでも効果があるそうです。
多少の冷静な判断力を取り戻すことは可能でしょう。
自分自身を不必要に攻めたり、自己嫌悪に苛まれるよりも、なぜそう感じるのか、この加害衝動がどこから発しているのか、その理由が解れば救われることもあるでしょうし、勇敢にその衝動と向かい合うことも出来るかもしれません。
そのことを周囲が理解してくれる環境ならばなおさら、事態はよくなることと思います。

 子どもを私と同じACにしないこと…それが私の大切な仕事でした。
情報量の不足で、手探りであったことは確かですが、努力はしてきたと思います。
ただ、がむしゃらに頑張るだけではどうにもならない部分があったことも確かです。
それほど、「再演」しようとする無意識の力は、強いものだという事も解りました。
これは自分との戦いであると同時に、本当の自分を取り戻す、自分のための戦いでもあったと思います。


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