6/27(日) 「家族狩り」
何かを破壊しそうになった時の自分の感情。
それは、ここ最近まったく経験しなくなった苦痛の一つではあるけれど、もしも、万が一もう一度そんな衝動が湧き起こった時、私はそれをうまく処理できるだろうか。
その時、私の貴重な学習は効果を表すのだろうか。
そもそも何故そんなことを思ったかというと、「家族狩り」という天童荒太の小説が引き金である。
全編5部からなる長編で、文庫本5冊に分かれているのだが、読書スピードの遅い私は、ここ数日この本の影響をかなり受け、その影は日常にまで浸食している。それほど、この本の内容が私の心の中の深い部分を揺さぶるからだ。
主要登場人物の多くが私の心のあるパートを、それぞれに具現化したかのようで、中でも破壊衝動をもてあまし、誰の助けも受け付けられなくなっている一人の女子高校生の姿は、痛みとともに古い記憶を呼びさます。彼女の怒りも、自責も、そのあげくの自傷も、罵声も。
そして、思ったのだ。
この衝動、今の私だったらどう処理するだろう。
きっとどうすることもできない。
その衝動自体を抑えることなど、例えどんなに私が成熟しても叶わないのではないかと思う。
その怒りは、あらゆるものに向いて、もちろん自分にも向かい、何もかもを壊し、傷つけ、自分を追い込み、自らの出口を塞ぐ。
不毛とは知りつつも、止まらない。
知らず知らずのうちに、心の中に堆積してしまったやり場のない怒り。
それはもう、荒れ狂うままにするしか、または、自らの息の根を止めるくらいしか、すでに方法がないように思う。
小説はもう終盤にさしかかって、いずれ彼女の行く末にも何かの結論が出るのだろう。
救われて欲しい。
そう願いながら、少し続きが読むのが怖くなって、ちょっとこの場で気持ちの整理をさせてもらいました。
6/20(日) ご報告
先日もここに書いたように、最近わずかですが、前進した自分を感じることが出来ます。
それにともなって、当初書いた「ようこそ〜」の文面も少し今の心境からずれてきたような気がしていました。
それで、思い切って書き直してみました。
書き直した文章は、少しだけ落ち着いたものなっていると思いませんか?
せっぱ詰まった、あっぷあっぷした感じが、ちょっと無くなったと思いませんか?
少しは成長しましたよね、私。
またちょっとした事で、逆戻りしたり、落ち込んだりするかも知れませんが。
幻覚もほとんど見なくなりました。
パニックもここしばらくありません。
まだまだ未解決の問題の方が圧倒的に多いことに変わりはないのですが、小さな進歩を祝う気持ちと、私がここを大切に思う気持ちと、感謝の気持ちとをあらためて表明したくて、ご報告することにしました。
ありがとうございます。
6/13(日) 「変な子」
私一人が違うのだと思って
周りのまねをした
私一人が間違っているのだと思って
正そうとした
家族が言った
「変な子」
初めて、深く人と関わった時に
違っていたのは、私の家族だと解った
その人が教えてくれた
元の私で良かったのだ
遅すぎた
家の外でも変な子
社会に出ても変な子
どこに居ても変な子
中途半端な
もうどれが自分だか解らない
私は「変な子」
もう、誰の真似もしない
もう、誰にも合わせない
「変な子」だった私が好き
変なままで好き
6/6(日) 深くて安らかな
気づいたら、自分の考え方が以前とずいぶん違ってきているんだなぁと思う。
最近の雑記に書いた性善説、性悪説についても、以前はかたくなに性善説を信じ込んでいたし、一言で言えば、高い理想掲げて譲らない、何に於いてもそうだった。
恋愛をしても、人を愛する気持ちはどこまでもピュアでなければ気が済まず、相手に代償を求めた時点でそれはもはや愛でも何でもないと決めつけていた。
相手にも自分にも妥協を許す事が出来ない。
だから、いつも自己嫌悪と人間不信と、挫折感と・・・、もう様々な目に見えないものと戦っていた。
そういう妥協を許さない一途さを「子どもっぽい」と笑い、卑怯にもそうやって妥協しながら年を重ねていく周囲の大人達を、ひそかに自分は一段高いところから見下げている気がしていた。
言動で表さなきゃ伝わらない、物理的に何かしてあげたりしてもらったりしなきゃ成り立たない、相手の何もかもを受け入れられない・・・・そういう関係ならば、それは虚だと、そう思っていた。
でも違う。
人間は私が考えているほど、強いものじゃなかった。弱いものでもなかった。浅いものじゃなかった。単純じゃなかった。
気づいて楽になった。
大切な人に、自分の気持ちを言葉で伝えるのも、態度で伝えるのも、私達が弱いからだ。
時々確認しないと、不安になったり気持ちが揺れたりするほど弱いから。
何かしてあげたいと思うのも、守りたいと思うのも、私達が心の奥底にとても暖かいものを持っているから。
そうして、それを形にし、日々根気よく繰り返していく強さで、人と人とはよりしっかりと結ばれていくのだ。
その弱さも強さも、どちらをも、愛おしいと思い、だからこそ支え合いたいと願うその感じは、私が以前掲げていたピュアで崇高な愛よりも、ずっと、深くて安らかなものだった。
5/27(木) 安易な裁き
最近、考えていること。
拉致被害者家族の会と、イラクで人質になった3人の方達が、同じようにバッシングされたことについて。
これは、マスコミの、特に映像の力によるところがとても大きい。
今回の拉致被害者家族の会の声明文には、『ニュースで総理批判の場面ばかりが流れて、ねぎらいの言葉やお礼を申し述べている場面はカットされてしまったこと』が誤解の原因では、というコメントがあった。
私も、ニュースであの場面を見ながら、「ああ、これはまたあの時と同じ事になるのかな。」と思っていた。
確かに、人が怒りを露わにしている姿は不快なものである。
泣きながら助けてくださいという人には寛大なのに、権利を主張して自分の意見をきっぱりと述べる人には批判的。
「なんだあの言い方は。」となる。
確かにそれはある、感情的にはとても大きな要素だ。
けれど、これは身近な友達や家族とのケンカとは訳が違う。
見た目の情報だけに振り回され、あまりに、感覚的に、快・不快だけで、大切なことを判断していないかな、と考えてしまった。
そして、始末が悪いのは、実はとても感情的感覚的な理由に基づく判断を、一見正しそうな理屈で覆い隠して人を批判し裁いてしまうことだ。
『多忙な総理が、自ら北朝鮮に出向いてまで、被害者の家族を連れ帰ったのに、「最悪の結果」とは何事だ。』
ほんの数分のニュースの映像を見て、そう判断を下す前に、ニュースに映らなかった、私達が見ることが無かった光景を想像してみたらいい。
記者会見で曽我ひとみさんがちらっと話されていたように、彼らはもう、25年も家族を待っているのだ。
蓮池さんら5人の帰国が果たされ、拉致問題にみんなの関心が集まるずっとずっと前から。
被害者であるのに、加害者のような扱いまでされ、訴えに耳を貸してもらえず、突然消えてしまった家族を四半世紀待っている。
その長い年月の彼らの苦しみを、その間の政府の不誠実な対応を、私達はほとんど目にしていない。
小泉総理個人に何の恨み辛みもなくても、日本という国にはたくさん言いたいことがあるはず。
それを、あのような言葉で表現しているだけではないかとおもう。
物事の表面をさらっと眺め渡し、すべて解ったような気になるのは怖いことだ。
もっと落ち着いて、心を開かないと、人の苦しみなんか見えない。
テレビで数分間、被害者の泣き顔をみて、もらい泣きして、それでおしまい・・・その繰り返しをしている私達は、同じ人がまたテレビで怒っている場面をちらっと見ては、「なんだこいつ、同情して損した。」と安易に手のひらを返す。
そして、すぐ忘れる。
仕方のないことだけど、自分がその程度だということくらい、せめて自覚しておきたい。
そうすれば、偉そうに人を裁くことにも慎重になるだろうから。
5/23(日) 性善説・性悪説
人は生まれながらにして善の性質を持つとした孟子と、逆に悪だと唱えた荀子の話がある。
一体どちらが真実なのか、など゛考えても仕方のないことだけど、イラク関連のニュースを見聞きするたびにこのことを思い出してしまう。
イラク人捕虜の虐待写真や、アメリカ人処刑映像を見たりしていると、置かれた環境(例えば戦場)で人間の心が、これほどまでに荒むものなのかと酷くショックだった。
数日前にタリバン政権下におけるアフガニスタンを舞台にした映画を見て、ああ、確かに荒んでしまうのかもしれない、そういうものかもしれないな・・・と、少しだけ理解でき、同時にぞっとした。
たった2時間足らず、映画館で日常からかけ離れた世界を疑似体験しただけでも、生きたまま人の首を切るような狂気が人の心の奥深いところから浮かび上がってくる、その過程が見えた気がした。
命の危険や恐怖を、四六時中感じながら日常を送るという体験は、私達の国では特殊なことだ。
けれど、ほんの入り口ではあるけれど、映像の世界でそれを体験することにより、恐怖や憎しみが壊してしまうものの恐ろしさを知った。
人が心の奥に持っているこのように殺伐とした狂気に目を向ければ、確かに人間の本質は悪かも知れない。
けれど、人の心が本来持っている暖かいもの・・・それにスポットを当てているのが性善説だ。
その暖かいものは泉のように、やはり人の心の奥深いところから湧き上がってくるものだ。
ただ、この泉は、恐怖や憎悪によって涸渇してしまう。それも、戦場などの特殊な環境において、平和に暮らす私達が常日頃思っているよりもずっと、あっけなく涸れてしまう。
アメリカ軍のイラク人捕虜虐待の事件について、"戦場においてはああいうことはつきものだ"・・・という意見があった。
何処の国でも、戦争を体験した国であればやってきたことだと。もちろん日本も含めて。
確かに、そのとおりではある。だからこそ恐ろしい。
私は、続けざまにあの残虐なニュースを見た後、以前ここに書いたことのあるあの幻覚が、あの時以来初めて、再び起こった。
最後に体験したのはいつだったろうとこの雑記見てみたら、もう半年も前の事だった。その間ずっと、あの幻覚から解き放たれていたのに。
確かにこの平和な日本で、死と隣り合わせの恐怖をイメージするのは難しい。
だけど、ACの人の中にはあのような酷いニュースを見たあとに、何か心の奥の方でぐらぐらと動き出すものの気配を感じることがあるんじゃないだろうか。
きっと、もう通り過ぎて解決し、そして記憶の中にしまわれたもの。
人の本性の「悪」を、無防備に受けた時の自己を破壊される痛みのようなもの。
人が善なのか悪なのか、どちらかに決めることには意味がない。
ただ、善の部分と悪の部分を持ち合わせている私達人間が、少しでも幸福に生きていくためにはどうしたら良いのだろう。
「アフガン零年」を見て、この答えが少し解った。
乾ききって荒んだアフガニスタンから届いた力強い一筋の光のように、逆境にあってもまだ湧き続ける希望がとても尊いということ、それがいかに得難いものかを知り、人間が簡単に狂気に走ってしまう弱いものだからこそ余計に、人と人とは善意と善意で支え合わなければいけないと思った。
そして、良い方に向かう循環を、絶やしてはいけないのだと思った。
それは、人の本性が持つ「善」の部分を、大切に育て合っていくという、とても地道な方法なのだけど。
I can forgive,but I cannot forget.
私個人にあてはめても、とても意味のある言葉だった。
5/15(土) 帰属
あるサイトを見ていて、「帰属」という言葉を知った。
私達は何かの出来事に出会うと、多くの場合その原因を知りたくなる。それが分かった時はじめてその意味が理解できたとする心理作用のことだそうだ。
その原因の帰属を行為者の要因に求めることを内的帰属といい、環境に求めることを外的帰属という。
つまり失敗を自分のせいと思うのは内的帰属、自分以外の何かのせいと思うのは外的帰属だ。
そして、面白いテストがあった。
6つの質問に、「あなたの友人の誰か」の場合について回答し、次に「あなた自身」の場合で回答する。
項目は、「内向的である。」「攻撃的である」「思慮深い」「気むずかしい」「野心に富んでいる」「友好的である」の6つ。
答えは、次の5つから選ぶのだが、
-2 当てはまらない
-1 どちらかと言えば当てはまらない
0 当てはまる場合もあれば、当てはまらない場合もある
+1 どちらかと言えば当てはまる
+2 あてはまる
実はこれ、-2も+2も、同じ事なのだ。
最後に点数を合計して、絶対値(+又は−の符号をとった数字)だけを見ればよい。
通常、友人の評価の方が大きな数字になり、自分の評価の方が数字が小さくなると言う。
これは、友人に対してはその人の行動がその人の性格によるものだと(内的帰属)考えることが多く、逆に自分自身については自分の行動はその場の状況によって変わると(外的帰属)考えるからだという。
面白いものだなぁと思ってやってみたら、私は通常と逆になった。
自分についての評価の方が大きな数字になる。
落ち込みやすい原因はこれか・・・と、少し憂鬱になっていたが、もう少し調べるうちにACと大いに関係があるのだなと思うようになった。
というのも、この帰属と言うことと自尊心との間には因果関係があり、それが帰属スタイルに影響するらしいのだ。
ある研究結果によると、自尊心の高い人は良いの結果に対しては内的な原因をあげ、悪い結果に対しては、外的な原因を選択することが解ったそうだ。逆に自尊心の低い人は良い結果に対しては内的原因を選ぶ傾向が少なく、悪い結果に対しては内的原因を選択する傾向が見られた。
つまり、自尊心が低いと良いことは環境のせい、悪いことは自分のせいと思いがちだという。
そして、失敗を内的要因に帰属する人は、それ以降の遂行レベルを下げてしまうというのが恐ろしい。
しかし、失敗を内的要因に帰属しないことで、つまり自分にはどうしようもなかったのだと考えることで、自尊心は保護できる。
そして失敗してもその後、元の遂行レベルを維持できるのだ。
自尊心の低い人は、自分でマイナスの自己像を持っていて、それを維持するために、それに矛盾した情報は無視し、再評価し、帰属の仕方を変更し、一致するように行動を変容し、その情報を捨て去ろうとまでするらしい。
だから、どんなに成功を重ねても自己評価は上がらないのである。
成功を経験しても期待は上昇しないわけだ。
自尊心の低いACの皆さん、落ち込んで落ち込んでどうしようもないときくらい、
「私のせいじゃないも〜ん」って言ってみようよ。
自己中心的じゃないかしら・・・なんて、とりあえずは考えないで、へらへらしましょう。
「私が悪いんじゃないも〜ん。」
で、元気になったらまた頑張ることにしましょう。
5/9(日) 母の日
今日は母の日でした。
いつものように、母達にカーネーションを持っていきました。
鳥取のお土産と出来たてのジャムも一緒に。
母のカーネーションはひとまわり大きい花束で。
あとの二人の母達(Aさん、Cさん)には、それぞれに少しコンパクトな花束を旦那さんと二人で持っていきました。
お花やさんがとても綺麗に作ってくれて、あ〜、写真を撮っておけば良かった。
みんなとても喜んでくれました。
昔々、父が亡くなる直前にこんなことがありました。
父の入院していた病院に看病に行っている母と、交替するために、私とAさんは新宿駅からタクシーに乗りました。
運転手さんが、「お見舞いですか?」とたずねると、
Aさんは「いえ、身内が入院しているんですよ。」と、答えました。
「それはそれは・・・、ご家族ですか?」というような運転手さんの問いかけだったと思います。
Aさんは即座にこう言いました。
「主人なんです。」
私は、ちょっとドキッとしました。
けれど、次の瞬間、なんだか嬉しくなりました。
あと、数日か、数週間か後に、ほぼ確実に死にゆくであろう父を見守る私達は、皆、仲間なのだと思いました。
それぞれの立場を越えて、仲間なのだと、同志なのだと、何故だかその言葉で思ったのです。
何の迷いもなく、私の前で「主人です」と答えたAさんを、私は"あっぱれ!!"という気持ちで見ていました。
そして、初めて一人の女性としてのAさんの人生や、その立場にまつわるハンディキャップや、寂しさや不安を、私は実感しました。
父に対する愛情を、またまだ屈折した形でしか実感できなかった当時の私は、Aさんが眩しかったのかもしれません。
5/8(土) 魂の居場所
他の人の家庭を見て、もしも私がこの家で育っていたらと思うことがよくある。
この人が母だったら、あの人が父だったら。
色々思いをめぐらせて、空想し、最後にたどり着くのはやはり、私の両親はあの人とあの人以外にないということ。
人が死んで、その後生まれ変わるのかどうかは解らないけれど、私は"魂"の存在を信じている。
そして、私の魂について、こんなストーリーを思い描いている。
誰の魂も、皆、究極の幸福を目指していて、その為にもっともっとたくさんのことを学ぼうとしている。
その幸福とは、環境や状況に決して左右されることのない、絶対的な幸福のことだ。
きっと私の魂は、そこにたどり着くのに必要な何かを学ぶために、私の両親と、私の家庭環境が最適だと判断してそこを選んだ。
だから私の身体は、私の魂が選んだ最も適した居場所で、私の家族も、私の魂が選んだ最も適した人達だった。
ところで、目標の"絶対的な幸福"は、まだまだ手に入りそうもなく、遠くに見え隠れするだけだ。
けれど、せめていつもそっちに向かって歩いていたいなぁ。
方向を間違えないように。
4/29(金) 旦那さんの実家へ
明日から、旦那さんの実家に帰省します。
5/6あたりに戻る予定。
交替で東名高速を運転していきます。
13時間くらいで着くでしょうか。長旅ですが、頑張って運転しま〜す。
パソコン持っていくので、あちらから更新もしますね。
写真撮って載せますね。
長いお休みの人、いつもと同じようにお仕事の人、色々だと思いますが、皆様もどうぞ、それぞれに有意義なGWを。
昨日、「光とともに」というドラマをたまたま途中から観た。
そして、ある場面に釘付けになってしまった。
狭い部屋で、夢中で携帯メールをしている若い母親。
そのすぐ向こうで、女の子が黙って絵を描いている。
そこに帰って来た父親が、
「なんで子供を学校にやらないんだ」
と言って怒鳴る。
喧嘩はエキサイトして、ついにその父親は暴力をふるう。
母親を殴る、蹴る。
怒鳴り合う。
罵り合う。
叫ぶ声。
そのすぐ横で、女の子はひたすら絵を描き続けている。
まったく何事も起きていないかのように。
それはこの子が自閉症だからなのだ。
自閉症は、ほとんどが先天期な生涯であるらしい。
彼女にとっては、周りの世界と、自分の世界が遮断されているのかもしれない。
けど、私は瞬時にその女の子に同化してしまった。
彼女は、そこに"いないことになっている"のである。
私は、"そこにいないことになっていた"のだ。
描いていた絵など、もはやどうでもいいのだけれど、描き続けずにはいられなった。
"そこにいないことになる"ためには、その場の空気を揺さぶってはいけないからだ。
なにも変化を起こしてはいけない、逃げ出すことはもちろん、描くことをやめるのも。
体が震えて、凍り付いてしまいそうになりながら、上の空でその絵を描き続ける。
けど、私は全身で願っている。
私の姿が透明になってしまうように。
どうしても"いないことにしなければならない"のは、私の存在を大人が意識したとたん、
「私はじゃまだったんだ」と、自ら気づかなくてはならないからだ。
「私がいてごめんなさい。」と、思うことになっているからだ。
だけど、どうしてそう思うことになってるんだろう。
「喧嘩はやめてよ。」
堂々とそう言えないのは、どうしてだったんだろう。
「私がここにいるのは、私の責任じゃないよ。」
って、言えなかったのは、なぜだったんだろう。
私は、ドラマの女の子になりきって、
「私にかまわないで。私に気づかないで。」と息を潜めている自分に気づいた。
私は、今の「静かな生活」を、大切に大切にしよう。
"そこにいないふりをするため"に、描きたくない絵を描き続ける必要は、もう無い。
それは、羽が生えて空を飛べるくらいに自由なことだ。
4/1(木) お花見裏maru版
昨夜のお花見は、暖かでした。
少しアルコールも入ってか、ひさしぶりにしみじみと夫と話をしながら桜を眺めました。
ベンチに座る私達二人の間には、たこ焼きやらビールやら甘酒やらがあって、彼との距離は50センチ。
去年の桜は、手を繋いで眺めたっけ。
私達の物理的距離は、そういえば少しずつこうして離れていっています。
見失ってしまう不安から、必要以上にしっかりと握りしめていた手の力が、いつのまにか緩んで、気づいたら手を放して。
そんな事考えている時に、彼は私達二人のことを
「"黙っていても、解り合える"そういう関係じゃないよな。けど、そこがいいんじゃない?」
と、不安になるような嬉しくなるような複雑なことを言います。
「どうして? どんなところが解り合えない?」
と、問いつめてしまう私は、やっぱり、少しでも隙間があるとそこにばかり気をとられて混乱するクセが、まだ治ってないようで(笑)
「死ぬ直前に、"ああ、よかったな〜"と思えれば、いいんじゃないかな。案外難しいと思うよ、それ。」
ぽつりと彼が言いました。
そうね、それくらい後ろに引いて、緩く考えればいいか・・・。
私達はいろんな意味で、良い方に向かっているはず。
少し良い気分になった私は、帰りの電車の中、ずっと一人で喋り通しだったので、
「ずいぶんテンション高いじゃないですか。」
と言われ
「だって、二人で出かけるのちょっと久しぶりだから。」
と答えた。
そのあまりに素直な答えに、自分で驚きつつも"偉いぞ私"と思ったのでした。
before
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