2005-3

11/6

 ご無沙汰しています。
近況を少し…。

最近、このページの役割が、一つ終わったことを感じています。
まだまだ私がたくさんの問題を抱え、人並みになれるには越えるべき問題が多々あることは、相変わらず確かなのですが。
がむしゃらにもがいてみたり、手探りで走り回るような事から、一段階昇れたように思う今日この頃です。
そのかわり、私が抱えている課題や欠点が明確になって、それはもうモヤモヤとした苦痛ではなくて、はっきりとした問題提起のような形で目の前に差し出されているように感じます。
それを以前よりは少し客観的に、そして前向きに解決していこうと思っているのです。
自分のために書いた、非常に拙い自分史も、いつか三人称で書き直してみたいと思うようになりました。
その場所は、「ここ」なのか、また別の所なのか、以前ここでそうであったように見守ってくれる誰かの助けを必要とするのか、それとも私一人の作業なのか…。
まだまだ解らないのですが、いずれ時期が来たら…と思っています。




10/23

 偶然耳にすると息が止まりそうな曲がいくつもあるけど、
思えばそれはあの頃に聴いていた曲ばかり。
今はうまく思い出せないけど、記憶のトンネルはちゃんと繋がっているんだろう、あの頃に。




10/11

 私なんかには、何も出来ない。
 私の話なんか、誰も聞きたくない。
 私の人生なんか、誰も興味がない。
 
 何かを成し遂げるに値しない私。
 人に理解されるに値しない私。
 関心を持たれるに値しない私。

そういう感じはなかなか消えないけれど、その考えが間違っていることは解る。
解っているだけで、きっと違う。

 トラックのある場所に立って目を閉じる。
 震えて、足下から崩れそうになる。
 静かな場所。私一人。
 目を閉じると風の音だけ聞こえる。
 踏ん張ってみる。
 そして、一歩踏み出してみる。

そうやって歩いてきたような気がする。
一歩一歩が、とてもつらかった気がする。

 同じ場所で目を閉じている私。
 風に吹かれている私。
 今も一人。
 そう、いままでだって、これからだって一人。
 誰もがそう、みんなそう。
 踏ん張ってみる。

大切な人との距離は、測れない。
限りなく遠いから、限りなく近い。

それは、とても素晴らしいこと。 




9/22

 再生の時。
なんだか、そんな気がします。

私は最初、このスペースを躁鬱気味な自分の、一面の象徴として、
それを表現するひとつの手段として作ったんです。

そのつもりが、
ここで懺悔をして、
嘆いて、
悪態をついて、
怒って、
自分のことばかり喋り続けてた。

そうして今、ようやくひとつの作業を終えて一段落ついたような気がしています。


走っても走ってもたどり着かない場所
飲んでも飲んでも乾きが癒えない喉
追っても追っても逃げていく何か
どうしても口に出来なかった出来事
話しても話しても語り尽くせない気持ち

キリがないけれど、でもやっと、
その場所にたどり着きそうな、
乾きが癒えそうな、
逃げていく何かの正体がわかりそうな、気がしています。

禁句は言葉に出来、もはや禁句ではなくなりました。
私の声に辛抱強く耳を傾けていてくれる人々がいることが解りました。


曇が晴れて日差しが痛い。
この痛みは、もう20年以上も前に他の物と一緒に封印した。
あの時と、多分今同じ所に立っている。
けれど、決してあの時と同じ自分じゃなくて、
一周、二周、三周、と歩き続けて再びここに立っている私は、別の私だ。


最初は、何かの、誰かの真似から…かもしれません。
子どもが言葉を覚えるときのように、歩き始めるときのように、
真似から始めて、
転ぶことを恐れずに、
立ち上がり、
歩きたいと思ってる。

焦らずに。
今日生まれたと思えばいいのですから。






9/9

 私、あのホワイトバンドをしているのですが、今ネットではこの「ほっとけない世界の貧しさ」キャンペーンに対する批判が凄いことになってます。

何をそんなに批判するのか…と、ここ数週間反対派意見を読みまくる日々でした。

それは価値観の問題でしょう…と思う部分もあり、
確かにおっしゃるとおり…と理解する部分もあり。
こういう議論は大切だよな…と感じたりもしました。

誰かが言っていたけど、全員が同じ方向を向いている状態ほど気持ちが悪いものはない。怖いものはないですから。

そんな中で思ったのは、
他人を叩きすぎ…これは、夜回り先生が数日前にNHKで言っていました。
日本中、他人を叩きすぎて、一番弱い立場の子どもは誰も叩けずに自分を叩くって…。
補うとか許すとか、せめて叩く前に忠告するとか、提案するとかいう段階があったら、もっと物事スムースに行くように思います。
その上、手段であるはずの批判が、目的になってしまっているようなやりとりにも遭遇。

なんてことを思いつつ数週間後。
気付いたら、心の中で台風が大暴れしていました。
どうも私には、非常時に降りる防災シャッターのようなものがついていなくて、おまけにこれ以上ここで風雨にさらされていると私はやばいことになるかも…という時も警報が鳴らないんですね。
これを総じて「弱さ」というのだと思います。
いつも開けっ放し、出入り自由…みたいな。
そのくせ、人の集まるところに入り込んでしまう。
人が好きだし、人の心の中、人の考えにとても興味があるのかもしれません。

"Curiosity Killed the Cat"
そういう名前のバンドがいましたっけ。
しかも私は、ヘタレネコだし。




9/3

 前回の雑記のせいで、dark sideを開くたびにいきなり過激な発言が目に飛び込んでくることになり申し訳ありませんでした(^_^;
たびたび来てくださった方ごめんなさい。
自分でも、どきっとしたりしてました(笑。

怒りとか、嫌悪とか、そういう気持ちがとても素直に感じられるようになって、それが嬉しいのと、そして同時につらいのと、両方が心の中に同居していて、パンクしそうだったので、吐きだしてみたくなってしまいました。

私はこんなに怒ってるんだ、
こんなに不快なんだ、
自分に再確認したら、少しすっきりして、少し驚きました…自分の感情に。

嫌なものは嫌!!
良いも悪いも無くて、ただ、とにかく、嫌!!
まず、それでいいんだと思います(^^)




8/24

「殺してやりたい」
と、叫びながら
それはちょっと違う
と、どこかで感じている。

あなたの汚い身体に
触れるのはぞっとする。

あなたの汚い血で
私の指が汚れるのはごめんだ。

「早く死んでくれればいい」
と、つぶやいてみたものの
それもちょっと違う。

あなたの気味の悪い死体で
また私の記憶が犯される。

私は、
あなたに、
そっと静かに消えて欲しいんだよ。
人知れず
ストンと小さな落とし穴に落ちて、
どこまでも落ちていって欲しいんだよ。

その醜い手に
私の記憶を託すから
それを持って。





8/20
 入院中に病院の売店で買った、文藝春秋2005/9月号に芥川賞受賞作『土の中の子供』が掲載されていました。
暴力による虐待の中で育ち、その後施設に保護され…という生い立ちの青年の話を一人称で書いた小説です。
受賞作の掲載時には、いつも選者の書評がセットになっていて、これが面白い。
先に読んでしまうと先入観が邪魔をするので、作品を読んだ直後に読んでいます。

 ということで、今日の雑記はこの作品を先入観なしで読みたいとお思いの方は、読まない方が良いかもしれないですね。ご注意ください。


 まず作品を読んで。
私は、ちょっと気恥ずかしいような自己陶酔的な箇所を感じはしましたが、さすがに受賞作だなぁと思うような表現力や、はっとするものの見方がところどころにあったように感じ、そこそこ感動しました。

…と、ここまでは私の、…ドシロウトの見解。

しかし、選者の書評は厳しいこと厳しいこと…。
石原慎太郎をはじめ、池澤夏樹、山田詠美、そして私の好きな村上龍などなど、ちょっと気になる方達ばかり名を連ねているので、どなたの書評も興味深く読みました。
結論から言えば、誰も彼も、ボロクソでした。
総評として応募作全体のレベルが、まず低いという評価。
したがって受賞作についても、ストレートに褒めている書評などはひとつもありませんでした。
その中でやはり、村上龍氏の評価には一番納得してしまいました。

今回の応募には、子ども時代の心的外傷をテーマにしたものが多かったそうです。
そのことにふれた後、氏は以下のような見解をのべていました。
 幼児虐待やトラウマ、それにPTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉は大手メディアのニュースやワイドショーなどによって一般化・陳腐化され、すでに手垢にまみれている。虐待を受けた人の現実をリアルに描くのは簡単ではない。虐待を受けた人は、大手メディアのニュースやワイドショーとは別の文脈で生きなくてはいけないからだ。彼らは多様で複雑なコミュニケーション不全に陥っていて、他人との対応、現実との対応、自分への評価などに、微妙で切実で制御不能なストレスと不具合を併せ持っている。他人には理解しがたいものであり、本人も理解できていない場合も多い。
そして、このような心的外傷等のテーマを、一人称で書くことがさらに容易ではないこと、ある意味不可能であることを記した上で、この『土の中の子供』という作品がその困難さを無視している安易さを指摘し、こういったテーマの深刻さを表面的になぞっただけというような手厳しい批評を展開していました。
この作品の受賞については、
そういう作品の受賞は、虐待やトラウマやPTSDの現実をさらにワイドショー的に陳腐化するという負の側面もあり、私は反対した。
という、意見。
ふーっ、厳しいなぁとため息が出ましたが、さすが村上氏の言うことには、うんうんと頷くばかり。
選者同士の中でも、池澤夏樹氏がこの村上氏の意見を「瞠目に値した」と、評価していました。

いやぁ、何の世界でも一流になることは実に難しいんだなぁ。
たどり着いたと思ってもまだ先が、またたどり着いてもまだその先がある。
だから面白いわけですけどね。
それとともに、解った気になった状態がいかに危ういものか、を再認識させられたように感じました。
とはいえ、今の時点でのある人の理解レベルは、その人にとって見える風景のすべてですから仕方ありません。
要は、まだこの先があるのかもしれない、もっと深いのかもしれないという可能性を、いつも心にとめておくことなのでしょう。
それが、傲慢になりがちな私達の心に、ブレーキをかけてくれるのだと思います。




8/17
 さっそく、覚えていることの1つを忘れないウチに…(^^)

 「祈る」という言葉を聞いたり目にしたりすると、いつもふと思うイメージがあります。
私の母の実家は曹洞宗のお寺なんですが、にもかかわらず私は修道院付ミッションスクールにいたことがあります。(けっこういい加減です(笑。)
しかも、寄宿舎だったので一日何回も「祈る」ハードな環境なわけです。
ミサだけじゃなくて、日常の中でも起きたり食べたり寝たり、そりゃもう事あるごとにその場で祈るのですが、一日2回は礼拝堂に入って祈りました。
お決まりの祈りの言葉(「天にまします我らの…」みたいな)は、皆声を揃えて言いますが、その他は個人個人無言で祈ることも有れば、声にに出したりすることもあります。
当時は子どもだったこともあり、「○○が〜〜になりますように」というような言い方をよくしました。
友達が風邪をひいて休んでいるときは、
「○○さんが早く元気になりますように。」というような具合です。
つまり、お友達の○○さんに「早く治るようにお祈りするね。」と約束したら、本当にお祈りするわけですね(笑

けれど、今は違います。
「回復をお祈りします」と言ったから、その後教会や神社やお寺に行くかというと、私はほとんど行きません。…まあ、それが普通です。

 礼拝堂で本当に祈らなくなってから、私はこの「祈る」という言葉を言うときに微かな違和感を感じていた時期がありました。
(どうやら私、融通の利かないところがあるんです。)
けれども今、そういう時期を経て、この「祈り」という言葉にふとおもうイメージは…。

ある人を思って、幸せを思って、胸をいっぱいにする時間。
長さは関係なく、もちろん場所もスタイルも関係なく、自分の持つ限られた時の中から切り取った一定の時間に、誰かに思いをはせること。

 前述の修道院に、シスター・ダフという最高齢のシスターがおられました。
はっきりとした年齢も、一体何処の国の方だったのかも解りませんが、子どもの目にはしわくちゃ顔の、あのシスターが着ている黒い衣服に身を包んだ外人のおばあさんが、背中を曲げて壁をつたいながらゆっくりゆっくり廊下を歩く姿が、ちょっと不気味だったりもしました。
そんな、やっと歩けるようなシスター・ダフが、そのゆっくりゆっくりのペースで、モップがけをしたり、何かを運んでいる姿をよく見かけました。
けれどある時から姿を見かけなくなり、しばらくして他のシスターから、シスター・ダフが病に伏せっていることを聞かされました。
それから、私達生徒もシスター達も、礼拝堂で毎日必ずシスター・ダフのために祈るようになりました。
「シスター・ダフが早く元気になりますように。」「シスター・ダフの病気が治りますように。」
という例のお祈りの言葉です。
シスター達はもう少し大人の言葉で祈っていましたが、その中に、「変なお祈り…」、と私が思っていた言葉がありました。

それは、
「シスター・ダフ」
と一言、ただ名前を言うだけの祈りの言葉だったんです。
今ここにいない人に話しかけてるみたいで、すごく変だと思いました。

何故これがお祈りの言葉??…というその時の疑問も、今となっては、すっきりと理解できます。
忙しい一日の中の一時、シスター達があんなふうに夕方の礼拝堂で、万感を込めてシスター・ダフの名前を呼ぶことが、むしろ「祈る」ことの神髄であったようにも思うのです。

しばらくして、シスター・ダフは亡くなりました。
今、またあの時のことを思い返せば、名前を呼ぶだけというあの祈りの一言の中には、子どもの私には到底解らない、さらにずっと深い意味が有ったような気もします。
大切な、尊敬する人の安らかな人生のために、一体何を願えばよいのか、何が彼女のためなのか、本当の意味では解らない、人間がそれほど小さな存在であることを知っていたシスター達だからこそ、自然に言葉になった祈りだったのかもしれません。

「お祈りします。」は、こんな事も思い出す、今では好きな言葉のひとつです。






8/16

 胃痛、腹痛、嘔吐が酷くて、なんと入院してしまいました。
検査をしたのですが、原因解らず。
どこも悪いところはないようです。
それはいいのですが、何処も悪くないのに、こうなるってことは、またいつなるか解らないって事で、それは凄く困ります。
でも、しょうがないなぁ…。
そんなわけで、なんとなくすっきりしないままに退院しました。
以前もこんな事があったので、やっぱり検査では表面化しない何かが、体の中で起きてるのでしょうけれど…。
まあ、とにかく健康がどれほど有り難いかというのは、身にしみて思います。
元気になるとすぐに忘れちゃうんですけどね。

検査は、…たくさんしました。
その間お水とお茶だけで、あとは点滴で栄養を採っていました。
24時間針刺しっぱなしで植物みたいでした。
←こんな感じ。
血管がなかなか出ないので、変なところに針刺してます。
左手首のあたり。

21:00に消灯、5:30に採血という、信じられないスケジュールの中、一日どうでもよいことを、あれこれと考えたりして、
あー、これは帰ったら雑記に書こう…などと思っていたことがたくさんあったのだけど、すでに半分忘れてます(^_^;






8/10

 以前、「場」が感情をリアルに甦らせるという事を書きましたが、その他にも色々な要因がありますよね。
「音」だったり、「におい」だったり、「風景」だったり、肌に触れる「感触」だったり。
そして、それらの組み合わせで起きるFB。

そういった、「ある過去の出来事にそっくりな状況」が感情までを容易に支配してしまう、その大きな力には、そのたびに恐怖を感じます。
それらは現実の流れに何の関係もない、突然の感情や衝動で、いざその状況になってみないと想像できないほどの強い支配力を持っています。
だから落ち着いているときに、「今度こそは大丈夫。」と思っていても、そんなに簡単にはいかない。
脈絡がないんだ、今はあの時と違うんだ…という自覚がありながらも、抵抗できない、内側から湧き上がる強い力に振り回されてしまうわけです。

私は、夫に「どうしたの?」なんて言われて我に返ることも有ります。
身近な理解者なら、そんなふうに気付いてくれますが、そうでなければきっと、誤解されてしまうんでしょう。
ただ、我に返ると言っても、FBの支配力のからくりを多少客観視できる…という程度のことで、実際にその感情をコントロールできるかというと、それはそれでまた別の話なのです。

知ること、理解すること、客観視することは、大切で大きな第一歩には違いないけれど、そこからの道のりは、やはりとてもとても長くて、根気のいる仕事なのですね。





8/3

綺麗に作った砂の城の、一カ所がぽろりと崩れると、
あわててそこを作り直した。

けれどそのたびに、
それは嫌な思い出として蓄積され、
崩れるたびに、
ますます臆病になった。

砂の城が容易に崩れるものなのだと知っても、

積み上げて、崩れて、作り直して…という繰り返しそのものが
人生なんだと悟っても、

そうした試練もまるごと、楽しむことが
生きていくことなのだと、気付いてからも、

それでも私は、

崩れる砂の城には慣れることが出来ない。

小さな小さな、腕の中に収まるほど小さな私の砂の城を
注意深く守っている。

砂一粒たりとも、こぼれ落ちないように。






8/1

 8月になっちゃいました。
なっちゃっても、別にいいんですけどね(笑)、ただ時間が過ぎるのが最近とても早く感じます。
そして最近、落ち込み幅が少し狭くなったような気がします。
わかりません、ただ、最近運が良いだけかもしれませんが。
それから、怒りは怒りとして、認識できるようになりました。
一部ですけど、↓前回の雑記の戯れ言みたいにね。
どうやらちょっと怒ったりしているし…。
これも、自分に直接関わりがないことだからかもしれませんが。
でもまあ、良い方向に解釈しておくことにしましょう。
そこそこの、末吉くらいの毎日を送っています。

最近、ガンジーの映画を観たので、心に残った言葉を忘れないように記しておきます。

Cowards can never be moral.
臆病者は決して道徳的にはなれない。




before