2006

7/30
とうとう今夜咲きました〜。
綺麗でしょう…♪
全部で5つ、いっぺんに咲きました。

 さて、今日は汐留めに「明日の神話」という岡本太郎さんの壁画を見に行ってきました。
これは、大阪万博で展示されたあの有名な太陽の塔と、ほぼ同じ時期にメキシコで制作されていたらしいのですが、たまたま数奇な運命を辿ることとなり行方が解らなくなっていた作品だそうです。
それを養女の敏子さんがついに見つけだして修復し今日に至る…という壁画なんです。
全体が収まる写真がなかなか撮れなくて解りにくいかも知れませんが、これは原子爆弾が炸裂するその瞬間の図です。
原爆にまつわる、悲惨な写真や絵はたくさん目にしてきたけれど、この作品は、そのどれとも違う種類の新しいものでした。
太郎さん語録には、色々と有名なものがあって、ピュアで独創的な芸術家であることが解るものばかりですが、それ故に一部の言葉はひとり歩きしてギャグになっていたりしますね。
その中でも、
「醜悪なものこそが美しいのであって、ただ綺麗というのと美しいというのは正反対だ」という言葉が、この作品を見ると実感できます。
原子爆弾の火に焼かれる人間の顔は、尊厳を失わず高貴で毅然としていました。





7/23
 前回から10日立って、あの時の子はこんなに大きくなりました。
雨降りが続き、その後数日気温が低いせいか成長が遅いのですが、それなりにがんばって大きくなってくれています。
今、このくらいの大きさの花芽が全部で5つくらいついているので、この調子だともう少ししたら毎夜続けてお花が咲くかもしれません。


 私は、自分のペースで小さな目標を毎日コツコツとこなしていくようにしようと思います。
後悔や、自己嫌悪の中から、日々立ち上がって、それを何度も繰り返して。
そうして気がついたら、少し前に進んでる。
そういうものだという事がようやく解ったから、これからもそうやっていこうと思います。

それで間違いないと、この子が証明してくれている気がします。





7/13
 ベランダの月下美人の鉢にこんな小さな花芽がいくつかついていました。
今年はなかなか見つからなかったので、冬が寒かったから咲かないのかなと思っていたのですが、大丈夫そうです。

 先日、作家の村上龍氏が出席するあるセミナーを見に行ってきました。
就職支援をしている公共団体が主催するセミナーで、テーマも就職に関するものだったので、「13才のハローワーク」の作者である村上氏が選ばれたようです。
そのときの話で、印象的だったものをここに記録しておくことにしました。


 最近の村上氏の作品に「盾(シールド)」という絵本があります。
シールドとは何かというと、要するに自分を守る道具になるようなもの。
それは、村上氏なら『作家としてのスキル』だったり、『出版してきた作品や作家としての経験』だったり。
また、親友でもある中田選手を例に挙げていたのですが、彼であれば『プロのサッカー選手であること』だったり『語学力』だったりするわけです。
では、自分に強いシールドとなるようなものがなかったら…。
そのようなとき、多くの人は集団をまとめて保護してくれるような大きなシールドの中に入ろうとするわけです。
つまり組織です。

要するにシールドとは、日常の糧を保証してくれるものでもあり、自分のプライドを保証してくれるものでもあるのです。

会社をリストラされた人が自殺してしまった…という話を、一時期私達はよく耳にしました。
死ぬ気になれば、どんな仕事だって出来るのに。
今の日本で、選り好みしなければ仕事に就けないなんて事はないだろうに。
…と、思いながらニュースを見たりしていました。

でもきっと、その人にとって会社は、唯一のシールドだったのでしょう。
或いは、そう思い込んでしまったのでしょう。
丸裸の無防備になって、この社会の荒波の中で生きていくなんて、しかも自分の尊厳の危機を目前にして…。
もう死んでしまう以外方法が無い…。
そういうことなのかもしれません。

私達は、たとえ集団をごっそりガードしてくれる大きなシールドの中にいたとしても、自分だけのしっかりとしたシールドも別に持っていなければいけないのだと思います。

そんなことを考えながら仕事やスキルを見つめていけば、自然に人生を組み立てていけるのだと思います。
…という話をもっと早く、30年くらい前に気がつきたかったですけどね。

まあ、機会があったら娘にも話してみようかと思います。
そして私も、今からでも少しでも、この弱々しいシールドを強いものに補強していければと思ったのでした。




7/3
 久しぶりにここでゆっくりと過去を振り返ってみました。

私は、より幸せに、より楽に、より生きやすく、変わっているんだな…とあらためて思い嬉しくなりました。

とても現実的なトラブルや障害は当然様々ありますが、それを受け止め処理していく自分が変化しています。

その事が、ここでこうしてかつての自分をながめていると解ります。

自分自身の感覚では、今現在もまるっきりいっぱいいっぱいな事に変わりないのですが。

ほんの少しずつなら、進歩していると言えなくもない…いぇぃ(^_^)v




5/17

 のんびりとコーヒーを飲みながら、通り過ぎていく人を見ているのは楽しいです。
中学生くらいの女の子達が4.5人ぴょんぴょん跳びはねながら立ち話に夢中になっていました。
スーツ姿の中年男性は何か考え事をしている深刻な顔。
20代のカップルがショッピングバッグをいくつも持って…、たくさん買い物をしたみたいです。
私と同世代の奥様達2人は、この先の映画館に向かうのか、足早に、でもなんとなくワクワクしているみたいに歩いていきます。

中学生を見れば、中学の頃の自分を思い出します。
好きな男の子はいるのかな、今日の服は凄く迷って選んだんだろうな。私も私服で出かけるときにはいつもおしゃれしたな。

カップルを見れば、デートをした時のことを思い出します。
一緒に買い物をするのは楽しかったな。でも車屋さんにばかり連れ回されたりしたっけ。

そして同世代の女性を見ると、今の自分を重ねます。
どんな家族と、どんな生活をしてるんだろう。どんな映画が好きなんだろう。お友達と出かけるのはやっぱり楽しいよね。

…と、本日の夕方のひととき。
なんのオチも無い、徒然雑記でした。






4/17

 もう一週間前になりますが、父の3番目の奥さん(Bさん)の13回忌の法要に行って来ました。
お寺に着くと、庭にカイドウがとても綺麗に咲いていたので、思わず写真を撮りました。
お経が始まる前に住職さんが、
「カイドウが綺麗でしょう…。」
と本堂から庭に目をやりながら、
「玄宗皇帝は、カイドウを楊貴妃に例えたんですよ。」
という話をしてくれました。
楊貴妃がお酒を飲んで眠っていたところ、まだ眠り足りない時に玄宗皇帝に起こされ、眠そうな顔をして起きてきたのを見て、皇帝はその姿をカイドウのようだと表現したのだそうです。

「Bさんもまるでカイドウのような…というのはちょっと褒めすぎですかね。
 でもまあ、いいでしょう。」
と、笑いながら住職さんはお話をしめくくりました。

もちろん楊貴妃には遠く及びませんが、彼女は綺麗な女性でした。
以前にも書いたことがありますが、子どものようなあどけなさ大らかさと、芯の強さと、両方を持っていました。
私が小さい頃、一番たくさん遊んでくれたのも、彼女です。



4/5

 長いお休みをいただきありがとうございました。
その間、ブログを作ってみたり、別人になったり、about meを読み返したり、文章を書いてみたりと色々実験してみました。

そして、解ったこと。

ここは、「恥」もいっぱい詰まっていますが、私にとって重要な記録であること。
でも、ある意味では何かの終わりとか、転機とか、限界とか…、そんなようなものを自分が感じていること。

大まかにはこんな感じです。
今の自分の視点で見ると、過去にここで書いてきた文章はすでに焦点が合わなくなっています。
それを今回微調整し、ピントを合わせる作業をしました。

私は時々、過去に自分がやったことすべてを破壊したくなる衝動が起こるので、ここもたびたび消してしまいたくなるのですが、そのたびに何となく思いとどまって続いてきました。
これからも、同じ事の繰り返しかも知れませんが、今はこの場所を大切に思う気持ちに再び落ち着いています。

更新頻度は落ちると思いますが、お休みは終わりにして、ひそかな居心地の良い場所として存続させていくつもりです。

再び、どうぞよろしく。

   
   わけあってブログにはリンクしていませんが、URLはお知らせしますのでお手数ですがメールでご連絡ください。

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