12/27 時空を越えて

言えなかった言葉をたくさん袋に入れて
抱えて歩いて
ときどき取り出しては
いくつかの言葉を反芻し
また元通り袋にしまって
そしてまた抱えて歩いて

そうやってずっと歩いてきた道ばたに
今度はていねいに
取り出した言葉を並べてみたら
それを眺めてくれる人がいて
拾ってくれる人がいて
大切に持ち帰ってくれる人がいて

それは悲しいくらい綺麗なものに
形を変えて
時空を越えて
声にならない思いを飲み込んだ
あの時の私のもとに
帰っていきました



 今年も一年、ささえてくださって本当にありがとうございました。




12/23 メロン

 最近暗いことばかり書いていてごめんなさい。
…って、ここはdark sideでしたっけ。
そう言いつつ、またひがみっぽいことを書きます。

 お父さんに深く愛され、大切にされて育った女性が独特の雰囲気を持っているのを知っていますか?
彼女たちは、社会に対して堂々とした態度を取ります。
たとえ、大人達ばかりの中に混ざった、たった一人の子どもであるときも、物怖じせずに会話が出来る。
そして大人になっても変わらず、胸を張って生きている女性になります。
自信を持っていて、おおらかで、余裕があって、自分の好きなことを夢中で楽しみながらゆったりと生きています。
男にも、女にも、年長者にも、子ども達にも、家族にも、初対面の人々にも、ありのままの自分で接していきます。

そんなふうに、私には見えます。
彼女たちがまぶしくて、大勢の人の中にいても、すぐに見つけだしてしまう。
その独特の雰囲気が私の視線を釘付けにして、吸い込まれるように目をそらすことが出来ません。
…というのは、多分半分くらい気のせいでしょう。

そしてこれも気のせいかもしれないのですが、私はよく、彼女たちの視線に気づいてはっとすることがあります。
あちらから見てもまた、私は何かの理由で「興味のある存在」なのかもしれません。
未知の人間だからなのか、正反対の存在故に、彼女たちが持たない何かを私が持ってるのか。
彼女たちが持たない何か。
一見得体の知れない、バリアーや闇でしょうか。

 
 私の伯父は、娘をとてもかわいがっていました。
私の従姉にあたる彼女は、小さい頃親類の中で一番年が近く大好きな遊び相手だったので、頻繁に家に遊びに行ったり泊まったりしていました。
日曜日には、伯父が博物館や映画館、海や山、プールへ、彼女とともに連れて行ってくれました。
まるで父親と、二人の姉妹のようにたびたび遊んでもらいました。
「家に一人でいても寂しいでしょう。」
と言われましたが、寂しいなんてそれほど感じたことも無く、ただ従姉と遊ぶのが楽しかっただけです。

そうやって、いつも伯父と従姉について歩いている私に、ある大人が尋ねました。
「○○ちゃん(従姉)のお父さんと、お父さんどっちが好き?」

無難な答えをしました。
「お父さん。」

「なんで? どこが好き?」

「メロンくれるから。」

つまらない答えだと思いながらも、他に好きな理由らしきものを思いつかずに、そう答えてしまいました。
私がメロンを好きなことを皆知っていて、父の家に行くと食事の後にはいつもメロンをごちそうしてくれたのです。
そしてその話は父に伝わりました。
その日から、父は私と一緒にメロンを食べる時、残すようになりました。

父は、スプーンでメロンを少しすくって一口食べ、あとはそのままにしておきました。
私が自分のメロンを食べ終わってしばらくすると、
「食べなさい。」といって、自分の残りをお皿ごと私の方におしやります。
私は黙ってそれを食べる。
いつしか、それはメロンを食べるときのルールになりました。
他に大人がいるときは、父はお皿をおしやらずに知らん顔をしていました。
誰かが、
「これは△△(私の名前)にあげていいんですか?」
ときくと、
「ああ」
と、答えることになっていました。

こんなんだから、私は父のことがよくわからないのです。
すくなくとも、嫌われていたのではないと思うのですが。

でも、もしも好きなら、一緒にいてくれたはずです。

時々、こんなふうに子どもみたいにすねたくなります。
最近、母の気持ちが少しだけわかるような気がするときがあります。


 


12/17 今はいないKが教えてくれたこと

  @一番悲しいことを笑いながら話す

 数日前、友人と話をしていて、共通の知人の話題になりました。
自ら命を絶って亡くなってしまったKのことです。
友人とKは同級生で、亡くなったときには葬儀にも行っているので、その時の話は以前聞いていました。
友人が仕事帰りに駆けつけたとき、Kの葬儀はすでに終わっていてKの遺体に彼女の母親と母親の姉だけが付き添っていた光景は寂しいものだったそうです。
Kは心を病んでいて、何度も自殺未遂を繰り返した末のことでした。
私がKと会ったときにはいつも、彼女は少し衝動的な行動に走る傾向がある程度で、明るくてむしろ誰よりもよく笑っていました。
けれど時折、それは自虐的な笑いに思えることもあり、またどきっとするような突飛な事をへらへらと笑いながら話すことがありました。
瞬時に心が冷え切るように感じたこともあります。
それでも、そんな彼女が、精神科に通院したり、時折友人に対して暴力的な行動に出たり、アルコール中毒で入院したり、という話は、私にとって普通の同情の域を出るものではありませんでした。

 今回、その葬儀の時のKの母親の言葉を友人に聞いて驚きました。
Kの遺体の傍らで泣いていた彼女の母親は、友人にこう言ったのだそうです。
「Kはもう死んじゃったから良いけど、残された私はどうすればいいの。私はこれからどうやって生きていけばいいの。」

これを聞いてすぐ、私の頭の中には「これ以上私を困らせないでよ。」と母から言われた時のことがよみがえりました。。
ずっと言えないでいたSAの事を、結婚して子供が産まれてから思い切って打ち明けたときの事でした。

今までKの母親像には正直思いが至らず、彼女の病の原因について納得がいかなかった私は、初めてその糸口を見つけた気がしました。
「Kはお母さんにも暴力を…?」
自分とKが初めて重なった私は、友人に尋ねました。

「家では酷く暴れていたみたい。」
「で、お母さんはその時どうしてたの。」
「『やめて、やめて。そんな事すると、もうご飯作ってあげないわよ。』って言いながら逃げ回ってた…って。」

息が詰まって、私は体が震えてきました。
友人にその光景を話したのは、K自らだったはずです。
私の記憶に残っているKの笑顔が浮かびました。
あの笑顔で、この世で一番悲しい母の姿を、友人に冗談のように話したのかもしれません。

 なんでなのでしょう。
一番悲しい話を、笑いながら冷ややかに話すのです。
まるで人ごとのように、突き放して話すのです。
そして、聞いてくれた人がひいてしまう気配を察知すると、その場の雰囲気を気にして、上手くまとめようとまでするのです。
動悸が激しくなっていても、冷や汗をかいていても、体が震えていても、それでも笑いながら話すのです。
「ねえ、この話、面白いでしょう?」

「精神科にもちゃんと通院していたのに、医者もKを助けられなかったんだね。」
友人にそう言いながら私は思い出しました。
彼女が入院したときの、彼女の担当医もまた私のかつての知人だったのです。
全くの偶然なのですが。

無性にやりきれなくなりました。
誰も彼女を助けられなかった。

けれど、もしもKの母親が彼女と命がけで向き合っていたとしたら、彼女は少なくとも命を絶つことはなかったように思います。

Kが今、安らかな世界にいますように…。


 A進化した母

 Kの話をした友人は、去年の今頃ここに『私の中で母とダブっている』と書いたことのある人です。
私が彼女に惹かれるのには、そういうわけがあったのかと以前気づいたのですが、一度気づいてみるとパズルがぽんぽんはまっていき、隠れていた絵が見えてくるようでした。
もちろん彼女は『母そのもの』ではなくて、もっとずっと物わかりの良い素直な人です。
おまけに、私の話も聞くときはちゃんと聞いてくれ理解しようと努めてくれます。
一方で、時々話していて過呼吸になるくらい、深いところで響き合ってしまうこともあります。
そんな時の自分を客観視しているうちに解ってきたのが、『私はこの人とパワーゲームに陥りやすい』ということでした。
彼女と私との間に響き合う何かは、母と私との間でいつもざわついていた何かと、どこかで繋がっているように思います。
それはつまり、彼女にとっての私もまた、父か、母か、兄弟か、とにかく彼女にとって重い存在である誰かと『ダブっている』ということなのかもしれません。
私たちがひどく子どもじみたパワーゲームに陥りやすいのは、子どもの頃に訓練され身につけた癖だからかもしれないし、お互いの存在が、お互いを子どもに返らせてしまうからなのかもしれません。
こんなふうに、今近くにいる重要な存在が、過去のキーパーソン(a)の別バージョン(a')であることは良くあることだと思います。
だからこんなふうに、彼女と一緒にいると色々なことに気づかせて貰えるわけです。
時々、それがちょっとつらいと思うこともありますが。

 Kにとっても、彼女はそういう存在だったのかもしれないと今にして思うのは、友人の中でも、Kは彼女にだけ攻撃的な態度に出ることがよくあったと聞いていたからです。
きっと前述の会話で私が気づいたように、Kの母と私の母は、母親として同じような欠点を持っていたのでしょう。
Kが彼女に攻撃的な行いをするとき、Kは母(a)に向けるべき怒りを、少なくとも『逃げ回らない母』である彼女(a')に向けてしまったのかもしれません。
そして私にとってもまた、彼女の存在は『理解力を身につけた母』(a')、進化した母の形のようなのです。




11/30 パワーゲーム

 母親と相性が悪い人ってどれくらいいるのでしょう。
私は、10代になった頃から、ハリネズミ同士が抱き合うみたいに近寄るほどに傷つけ合ってしまうようになりました。
親子でなければ、そういう相手には近寄りません。
けれど、親子であるが故に近寄っては血を流して離れ、また近寄っては相手を傷つけ…を繰り返すわけです。
 
 娘を育てるとき、母にされたことで嫌だったことは絶対にするまいと、思っていました。
まだ「連鎖」なんて言葉を具体的に思い浮かべたわけではなかった頃も、ただ「あの人のようにはならない」という一心でした。
"about me"にも書いたように思いますが、そうしていつもいつも自分を見張っているのは疲れることでした。
今、その時期は過ぎたけれど、嫌だと思っている母の細かい部分と自分が重なるときは、おっと…という感じで、相変わらず立ち止まります。
長い間の習慣で、チェックがかかるようになっていて、警告音が頭の中で鳴り響くように設定されているようです。
もう、疲れました( ´−`)

…なーんて。
時々思うことがあります。

 そして、ハリネズミになる前はどうだったかというと、私はどうやらパワーゲームをするように刷り込まれたようです。
これもまた疲れるのです。
どこにいても、誰に対しても、知らず知らずにゲームを仕掛けてるのです、一人で勝手にゲームしたりしているのです。
「場」や「人」を無意識に自分のコントロール下に置こうとするのです。
そんなことをして、へとへとになるのは自分です。
私は、本当はそんなこと全くしたいと思いません。
しなくてもいいゲームに、エネルギーを注ぎ込みたくありません。

けど、気づくとやってたりする。
私がむなしくゲームにエネルギーを費やしているうちに、ほかの人々は、自分の好きなことをして、楽しんで、例えば何かを創造したり、誰かと心を通わせたり、本当に大切なことに時間と労力を費やしています。
一方私には、何も残らない。
へとへとになっただけ。

たとえ勝っても幸せにはならないゲームだけど、それ以前にどこまでやっても終わることがないゲームです。
心の中にいる親の亡霊が喜ぶだけの、非常にくだらないゲームだからです。

やめなきゃ。
もはや誰のせいでもなくて、私自身のことはもう、私が責任を負わなければなりません。








11/27(土) 新しい回路?FB注意

 数日前、日中一人で家にいた私は、簡単な昼食を取りながら何気なくリモコンでテレビの番組を選んでいました。
"徹子の部屋"という番組をやっていたので少し見入っていました。
いつもはトーク番組なのですが、その日はいつもと内容が違うようで、コンゴ共和国の内戦によって被害に遭っている子ども達の映像が流れはじめました。
ごらんなった方もいらっしゃるかもしれませんね。

「ああ、黒柳徹子ってユニセフの親善大使だったっけ…」
そんなことを思いながら、リモコンの手を止めて食事を続けていると、内容は性暴力の被害に及びました。
映像は被害者の子ども達の表情をとらえ、彼女たちへのインタビューや被害の実態へと話が進んで行くにつれて、私は食べているものを吐きそうになり慌ててリモコンを再び手にしました。

けれど、何故か彼女たちから目をそらすことを私の一部が拒否しました。
この人達の話を聞こう、この人たちに起きた事を知ろうと、私は食事の手を止めて覚悟しました。

 私の想像を遙かに超えた被害が、現実に今、同じ地球で起きていました。
"処女と交わるとエイズが治る"というデマが、被害を低年齢化させているそうです。
3歳の時に初めてレイプされ、その後も彼女が処女だと思った別の兵士から再び被害にあった少女は、今5歳でした。
黒柳さんと並んで手をつないで歩きながら時々彼女を見上げる幼児の表情は、あどけなくてかわいくて、けれど彼女の股間からは絶えず尿が流れ出していました。
激しい性暴力で傷ついたせいで、多くの少女達は同じ症状に苦しんでいました。
手術をしても完全には治らないと語る女の子もいましたが、その子は「将来の夢は?」と聞かれて、「結婚すること」と答えました。
耳を疑いました。
彼女は確か15歳くらいだったでしょうか、30人の兵士によって連れ去られ、その中の10人から性暴力を受けたと語っていたからです。
けれど黒柳さんの解説によれば、その恐ろしい事件の直後、家に戻った彼女は肉親によっていたわられ、慰められていたのだそうです。
取り返しのつかないことも、決して忘れることが出来ないことも、こんなふうに少しでも良い方向に持っていくことは充分可能なのですね。

 気づくと卵かけご飯を口の中に入れたまま、私の顔も胸元も涙と鼻水だらけになっていました。
そして、その涙と鼻水の勢いでもって、なにかひとつ新しい回路が開通したような気がしました。
彼女たちの不幸を力にして…?
一瞬後ろめたい気持ちにぞっとして正気に戻りました。

 それから数日、私は、些細な事にすぐに嗚咽がこみ上げてくるような不安定な気持ちの中で過ごしました。
明らかにいつもと違う、もっとずっと生々しい自分の感情は確かに苦しいものではありましたが、その一方で少し軽くなったような楽になったようなすがすがしさが確かにあります。
もしかしたら、あの日あの時私は、ほんの数分間だけど遠く離れたコンゴの少女達とシェアリングに近いようなものをさせてもらったのかな…と、そんなふうに思うのです。

(そうだとしても、この方法はあまりお薦めできません。危険ですね(´∀`))


11/13(土) 母とBさんのこと

 ちょっと昔話です。
仕事の帰り道、歩きながらふとBさんのことを思い出したので。

 Bさんは、父の妻の一人です。
父が他界した数年後、Bさんも父と同じ病で手術をしました。
手術は成功でしたが、やはりその後は急速に体力が衰えていきました。
食事が一度にたくさんとれないので、体重もだいぶ減って急に老け込んで見えました。
Bさんには兄弟が無く、もちろん両親もすでに他界していたので、遠い親戚がいるくらいでした。
だから、彼女が退院した後、看病をしたのは主に母です。

 看病をする母は、だれからも同情され尊敬されました。
それは当然のことなのかもしれません。
正妻は母ですから、Bさんに対して何の後ろめたいこともなく、たとえいっさい世話をしなかったとしてもそれは当然正当化できたでしょう。
すべての人を味方につけて、母は圧倒的に強い立場にいました。

 母は食事の世話など、長い間色々と面倒を見ました。
Bさんの悪口を言いながら。
母の背後には世界中の人がついていて、母の一挙一動にことごとく頷いているかのようでした。
母の口から発せられるBさんへの不満に、誰一人反論できる人はいませんでした。

それに引き替え、Bさんには理解者がいませんでした。
彼女の孤独と、病の苦痛と、死の恐怖と、未来への絶望と…それら彼女の目に映っている景色を、横に並んで共に眺めようとする人はいませんでした。

 父は、生前Bさんといる時が一番安らいでいるように見えました。
彼女は「可愛い女性」でした。
子どもの頃私が、Bさんのことを「すごく大らか」と言ったら、父はその表現が気に入って、ぴったりだと言いながら何度も繰り返していました。
けれど、晩年のBさんを見ていて、私は「可愛い女性」であった彼女のもう一つの一面、彼女の強さにたびたび驚かされました。

 「クロゼットにある洋服、着られるものがあったらみんな持っていってちょうだいね。」
彼女はよく、私にそう言いました。
そのたびに私は
「またお出かけできるようになったら着るでしょう。」
といって笑って見せたけど、そんな日がきっと来ないことは彼女も私も知っていました。
「そんなこと言わないで、お願いだから、もらってちょうだい。」
どうしてなのでしょう、まるで焦っているかのように、Bさんは私に彼女の持っているものをあれもこれも渡そうとしました。
お願いだから、お願いだから貰って…と。
その彼女の前で、私の言う一時の気休めなど、もう気休めとしてまったく機能しないばかりか、ただの無責任なうわついた言葉でしかありませんでした。
 彼女は両親の菩提寺に自分の戒名と永代供養を依頼し、それにともなうすべての費用の支払いを済ませていました。
そして、自分の葬儀に使う遺影の写真を写真屋さんに依頼していました。

その写真は、私が引き取りに行きました。
まだふっくらしていた時の彼女の写真でした。

 本当にてきぱきと、哀しそうな顔などまるで見せずに、むしろ何かに追い立てられてるかのように、Bさんは死への準備を整え、そして亡くなりました。





11/7(日) 最近考えていることの途中経過報告

 「フラッシュバックについてのお願い」を書くために改めてその定義を調べていたら、前回ここに書いた幻覚のようなものがフラッシュバックの一つなのだということが判った。

数日前、またイラクで人質事件があり、耐え難いことにその後人質の男性は殺害されてしまった。
ニュースが流れた日、また「あいつ」が来た。
以前イラクでアメリカ人の人質が殺害された時と同じだ。
自分でもよく解らない、「あいつ」とイラクの人質と、どういう繋がりがあるのだろう。
 
私は、ずっとずっと昔の嫌なことを思い出しても、喜怒哀楽をあまり感じない。
「嫌なこと」というのは私にとって、「通常『嫌なこと』と認識されるようなこと」であって、実際に「嫌」という感じはそれほど強くない。

以前の時も、そして今度のニュースを聞いた時も、胸とかお腹とかの中身を乱暴にえぐられるような感じがした。
そしてえぐられたあとのぽっかり空いた空洞が、黒くて滑稽で恥辱にまみれたその空洞が、何かと同じなのだけど、それがありありと甦らない。
繋がらない。
けれど、あのニュースと「あいつ」とが繋がっているのならば、リアリティのない私の感情は、本当はその空洞と同じ姿形をしているのかもしれない。

 私がよたよたと伝い歩きをするようにして書いた私のプライベートストーリーは、あの時の精一杯の真実で、あの時点で見えたパンドラの箱はすべて開けた。
でも、今私の前にはもう一つの箱があって、私はそれを開けたいと望んでいる。
この場所で。



10/26(火) ヘタレ日記

 また「あいつ」が来たんです。
洗濯物のピンチをカチャカチャいわせて何かやろうとしていたり、家の中を歩き回ったり、夫のフリをしたり別の誰かのフリをしたり。
眠りに落ちようとするとやってきて私の隣に滑り込んでくるので、必死で抵抗…これを延々繰り返してへとへとになって朝を迎えました。
朝からぐったりしている妻を、「なんでやねん、こいつ。」と怒らずに、心配そうにしてくれる夫は有難いです。
そして今日は仕事をサボりました。
まったくヘタレです。

 娘の学祭が先週末にありました。
サークルのライブでベースを弾くのですが、土壇場で時間が余ることが判り娘のバンドがもう一曲追加することになったそうです。
「おかあさんのところに"BY THE WAY"のスコアある?」
と電話してきたのは先週の金曜日。
"BY THE WAY"はRED HOT CHILI PEPPERSの曲で、明後日に学祭を控えて、まして彼女の現在の能力ではとうてい出来るわけもないと、もっと簡単な曲にするよう勧めました。
他のメンバーはと言うと、ギターとドラムはもうすでにこの曲は経験していてマスター済みというのです。
だったら尚のこと1人で足を引っ張るに決まってるから…と引き止めましたが、言うことを聞かないので夫がタブ譜が手に入るサイトをメールで教えたりしていました。
タブ譜を見れば諦めるだろうとばかり思ってすっかり忘れていた日曜日の夜、メールが来ました。

「"BY THE WAY"ソロが上手くできて、おいしいとこみんないただいちゃいました〜」
本当のことなのか、または予想通り悲惨な結果になってやけくそで大ボラ吹いているのか、どっちかだね…と夫と笑いながら、どちらにしてもこの私よりはずっとずっとマシだと思いました。

ものごとを前向きにとらえて失敗を恐れずやってみる力を持った彼女は、悲観的で怖がりで何も出来ずに立ちすくんでいるヘタレの娘にしては上出来です。


 




10/21(木)映画 「モンスター」

 映画「モンスターを見ました。
主人公アイリーン・ウォーノス(Aileen Wuornos) 本人の写真は無表情ですが、穏やかな笑顔のとても魅力的な写真もあって、また逆に「モンスター」そのものの表情をとらえているものも有ります。

 人生において、自分と全く同じ体験をしてきた人間は1人もいません。
仮に同じ時刻、同じ場所で、同じ出来事を共有した人がいたとしても、それまでの体験の積み重ねが違えば、その感じ方は各々異なります。
そういう意味で、人と人とが完全に理解し合うことは不可能です。
想像力、観察力を駆使し根気よく歩み寄ったとしても、きっとどこかに立ちはだかる、どうしようもない壁があるように思います。
アイリーンのような特異な体験をしていたら、その壁はきっと余計に厚く高いものになるでしょう。
その現実は人を孤独にし、「誰にも解って貰えないだろう」という思いは、さらに自らを孤立に追い込んで排他的な人間にしていきます。
勇気を持って心を開くたびに、裏切りや心ない決めつけによって柔らかいむき出しの心臓に杭を打ち込まれるような挫折を繰り返しながら、さらに頑なになった心はもう誰にも開くことが出来ないのかも知れません。
とても悲しいことですが。
そういう孤独の暗闇で彷徨っている人々にとって、唯一にして絶対な理解者は、神なのでしょう。
レビューにも書いたアイリーンの最後の言葉「私は戻ってくる。」という言葉には続きがあります。

"I'd just like to say I'm sailing with the Rock and I'll be back like Independence Day with Jesus, June 6, like the movie, big mothership and all. I'll be back,"

誇大妄想のような彼女のこの最後の言葉に出て来るjesusは、いつも彼女と共にあって、彼女と共に虐待や暴力を受け、彼女と共に同じ苦痛を感じ、彼女と共に悪事を働いてきた神に違い有りません。
唯一すべてを知り、アイリーンのすべてを理解しうる存在です。
精神障害を主張する弁護士の指示を無視してまで、死刑判決を望んだ彼女の、その自殺行為ともとれる選択は、最後の言葉と共に人々に様々な疑問を残していきました。
もしかしたら本人でさえ明確に出来ないその理由も、彼女のjesusなら知っているのでしょう。

参考サイト → http://profiler.hp.infoseek.co.jp/aileen.htm
           → http://www.ccadp.org/aileenwuornos.htm 


10/14(木) 考え始めたこと

 出来ることなら消したい思い出も、自分で擦り込んだ息苦しい思い込みも、ファイルを上書きするみたいに書き替えられたらいい。
けれどそれは無理なんだな。
ただし、油絵のように絵の上に新しい絵の具を重ねることは出来る。

パレットから綺麗な色をすくい取って、キャンバスにすーーーっと筆を滑らせると、そこには以前と違う世界が生まれる。
ペインティングナイフでひっかくと剥がれてしまうけど、時間がたって乾けば簡単には剥がれなくなるよ。
上に載せた色と、それを支える下塗りの色とが深みのある世界を作る。
下塗りは大事だよ。
たとえ見えなくてもなにか違うからね。
綺麗なだけじゃない、心を揺さぶる色を作るからね。

てなことを自分と語り合ってみる。






10/9(土) 落ち込んだ時(誰かの役に立つかも)

 情けないです。
本当に情けないですが、あまり自己批判しないで通り過ぎさせてください。
また元に戻って同じ事を繰り返したら、ますます情けないですから。
心配してくださった方に、そしていただいた言葉に心から感謝します。

ヤツの影は薄くなりつつあります。
どうせどこかに隠れているのですが、とりあえず出てこないでいてくれればいいです。
その隙に、ヤツが出しゃばってきた時の対策を立てました。
誰かの役に立つかも知れないので、書いておきます。

ヤツは弱っているとつけ込んで出しゃばって来る、とても卑怯なハイエナのような存在です。
心が弱ってしまう原因は、それはもう生活している限り、そこここに転がっている事ですが、出来ることならそういう些細なことで簡単にまいってしまうことのない強い精神力を養うのが第一の対策です。
しかしこれはなかなかの難題です。
もし、この段階でクリアできなかった場合、このブルーな雰囲気を上書きできるほどインパクトのある出来事がたまたま有れば、そこで気持ちを立て直すことが出来るのですが、それも出来なかったら、いよいよヤツの出番です。
頭の中が分離されて、ヤツの声がだんだん大きくなって行き、ヤツの領分が徐々に広がっていきます。
最終的には、何か感情を持つそばから、覆い被せるように否定してくるようになります。
多分、ここまで来たら元に戻ろうとあがくことは無駄なように思います。
ただし、最低限の生活リズムを崩さないようにします。
仕事に行くとか、ご飯をちゃんと食べるとか、いつもしているストレッチを続けるとか、そういうことです。
それ以外の所では、半分やけくそでやりたいようにさせます。
何を言ってきても、「ああそうですか。」と、放置します。
空しく抵抗などして無駄にエネルギーを費やしても、とうてい太刀打ちできませんから。
どんどん落ち込んで行って、この段階では苦しいばかりですが、いっそ開き直ってヤツの用意した暗黒の海でゆったり泳ぐくらいのイメージでなるべく力を抜きます。
端から見ると呆けたように見えるかも知れません。
薬が有れば依存したくなりますが、幸い私は薬嫌いなので、余程の支障を来さない限りは飲みません。
そのかわり自虐的になったりしますが、いざとなれば薬があると思うことで、逆にもう少し頑張ってみようと思えます。
この状態がどれくらい続くのかは、まったく予想が出来ません。
そこが一番つらいところです。

次に、氷がふっと溶けるような瞬間を時々感じることが出来るようになります。
遮断していた扉から、ふんわりと煙のように流れ込んでくる何かが、ふいに感情を揺らした時に、瞬時に涙腺がゆるんだりして、自分の感情の存在を思い出させてくれる瞬間です。
これを乗り越えればもう少しで堤防が決壊する瞬間をむかえることが出来ます。
それは、いつなのか、直前まで自分でも解りません。
あるきっかけで突然やってきます。

そしてとうとう堤防が決壊した時、殺していた感情が怒濤のように押し寄せて、ヤツを飲み込んで押し流してしまいます。
もう、ヤツの声はかき消されて聞こえません。
ヤツに勝った瞬間です。
ここから、悲しいとか悔しいとか切ないとか、怒りとか恐怖とか、もう何もかも一気に吹き出します。
そうなったら吹き出すに任せます。
涙も声も叫びも全部出るに任せます。
この状態を人が見たら「きちがい」と言うのかも知れませんが、そんなことはまったく気にしてはいけません。
呼吸が困難になったりしますが、その時こそ薬の出番です。
こうしてなるべく残らずに出し切ってしまえば、うまくいくとその後、真っ白になったような、軽くなったような、何とも言えない感じがあります。
脱力感とも達成感とも充実感とも言えるような…不思議な感じです。

これは、私以外の人には全く当てはまらないものなのかも知れないですが、それはそれは何度も繰り返しながら、やっと言語化するに至った私なりの分析と方法なんです。

何か少しでも参考になるといいですが。

ところで、氷が溶ける瞬間と、堤防が決壊するときのきっかけですが、色々あるしタイミングも大いに関係有ります。
 そっと肩に置かれた手、誰かの言葉や視線、音楽や絵…とても単純なことに、いずれも人の優しさから産まれ出たものであることに変わりないのですね。
やっぱり「人を救うのは人」なのかもしれません。

 


10/7(木) SAの話ですフラッシュバックに気を付けて

 誰の心の中にも色々な自分がいると思うのですが、私の中に私に対して凄く否定的なヤツがいます。
私の自尊心なんて大したものではないと思うのだけど、それすら持つことを許してくれなくて、そんなものを持つに値しないだろ…って目で見るのです。
頭の中で自己弁護したり、誰かに言葉で言い訳したりすれば、たちまちやってきて非難します。
悲しいと思えば、そう思うこと自体を非難し、腹を立てればそれは甘えだと非難し、泣けば嘘くさいと非難しに来ます。
とにかく、何から何まで、私のやることなすことがヤツには憎いらしいのです。
どこにいようと何をしていようと、私が感情を動かすとたちまち駆け寄ってきて意地悪な目で眺めているので、心を殺していないとますます自己嫌悪の泥沼に引きずり込まれます。
感情を動かさずに気を散らしているのも限界があるので、ふと気を抜くとすぐに寄ってきてしつこくまとわりつきます。
こいつの正体は、だいたい解っているので、思い切って消してしまおうと考えました。
きっとまだ整理のついていないパンドラの箱の中に、こいつのエネルギー源があるのです。

私に長い間つきまとっていた悪夢と幻覚は、その正体がわかったとたんに現れなくなりました。
ところが、その分苦しくなりました。
凍っていたものが解けたからです。
パンドラの箱は、まるで冷凍庫のようなものらしいです。

私は、この箱を持って「花園」に行きました。
今度は、この箱の中身を一人で整理しなければなりません。
けれど、「花園」には同じ色のパンドラの箱を持った人が集っていて、孤独感は軽くなります。
いいえ、私は今孤独ではありません。けれど私の一部に切り離されてしまった箇所が孤立して存在します。
子どもの頃のSA体験で産まれたものでしょう。
これを解決する試みを、サボってきたわけじゃありません。
けれど、未熟だった私は、この孤立した場所の理解者を正しく選択する目を持っていませんでした。
そしてことごとく失敗しては、再度冷凍保存しなおしました。
そのたびに孤立は酷くなりました。
そのころからもう、ヤツは私の心の中に住んでいて、私の失敗をせせら笑って、そして批判しました。
批判の内容は、書くに堪えないものです。

私が理解者として選んでしまった人たちは、どうして、まるで何も聞かなかったように振る舞ったのでしょうか。
私には、今でも全くわけが解りません。

続きはまた。
とりとめなくて…中途半端ですが。
誰かが読んでくれていたら、きっとそれだけで気持ちがとても軽くなるような気がします。
カウンターが回っていたら、その分楽になれるような気がします。
そしてその分、誰かの心を重くするのは不本意ですが、今私には余裕がありません。
だから、許して欲しいです。
「甘えるな」って、ヤツが言ってます。


before